壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

4/8 OYZ NO YAON theピーズ

 日中降り続けていた小雨が止んだ曇天の夕暮れ、照明の中に浮かぶ3人のロックンローラーがロックンロールを演奏するのを見てきました。
 セットリストは以下の通り。

1.鉄道6号
2.ブラボー(新曲)
3.ドロ船
4.焼めし
5.実験4号
6.とどめをハデにくれ
7.ブリロー
8.しげき的な日々
9.エッチ
10.異国の扉(新曲)
11.生きのばし
En.グライダー

 会場にかけつけたコレクターズから武道館バトンを受け取ったTheピーズ
手作り感あふれるそのバトンにはユニオンジャックがつけられ、一気に高貴なものになっていました。

 大阪城野音で行われたOYX NO YAON,トリを飾るTheピーズは活動休止前夜のアルバムの一曲目、
投げやりになる気力さえ失った末に全てを受け止め生きていくと歌う「鉄道6号」でライブを始めました。
 とにかくいきなりウルウルきてしょうがなかったです。
武道館の1曲目、どの曲が来ても感慨深いでしょうが、これややっとハッピーとかだったら私はまず泣くでしょう。
ただ以前のライブで30周年はアビさんボーカルのデブジャージから始める、というMCをしていた記憶があります。
デブジャージだったらイントロの時点で笑ってしまうと思います。

荒吐磔磔には行けないので、この日がTheピーズ武道館前の最後のライブでした。
武道館が決まった時は、これが大きな一区切りになることで今までのピーズが終わってしまうのでは、という不安を持っていました。
でもこの日のライブを見ながらそんな気持ちは無くなっていました。
バカロックと称された初期の曲から歌詞に自分への呪いが込められ始めた中期の曲、そして復活後の名曲「生きのばし」そして「グライダー」。
全てのピーズの要素が最強のギター、ドラムそしてだみ声コーラスに乗っかって流れ続けた一時間弱のライブ。
こんな最高なライブが武道館で見れるのならそれだけでもう十分だな、と感じられるようになりました。

そもそもロックンロールバンドは未来も過去もなく、その瞬間瞬間で輝きを放つスプリンター。
「長く続けてほしい」という願いを持つこと自体が高望みなのかもしれません。

ただその「瞬間」が「永遠」とリンクしているのも間違いないと思っています。
Theピーズの手にあるのは怒髪天フラカンそしてコレクターズから渡された武道館バトンだけではありません。
ビートルズから脈々と連なる「ロックンロールバンド」のバトンも今Theピーズに手渡されたと思っています。

2003年はブルース生誕100周年だったそうです。ロックは間違いなくその系譜に連なっているはずであり(ブルースを内包していない音楽はロックンロールではないのではないでしょうか)、そう考えると114年目の現在にTheピーズがいます。
今は存在しない歌手やバンドが放った瞬間の輝きの積み重ねが現在であるならば、これはもう十分永遠といえる永さではないでしょうか。

兵庫さんがいう所のブリティッシュ・ビートとニューヨーク・パンクのもっとも誠実な継承者であるTheピーズ
6/9武道館はもう楽しみしか残っていません。



 

ロックバンド自分史(2) ハイロウズ解散

 2004年9月1日、ハイロウズ8枚目のオリジナルアルバム「Do!! The★MUSTANG」発表。
私がリアルタイムで聞くことが出来たハイロウズ最初で最後のアルバムです。
 このころの曲で一番好きなのは、アルバム未収録ですが、シングル「砂鉄」のカップリング曲「ヤゴ」。
ヤゴの幼虫の見た目がすごい、ということしか歌っていないにも関わらず極上のカッコよさ。今聞いても最高の一言です。
 思えばハイロウズ後期は歌詞から意味やメッセージが意図的に取り払われ、ロックンロールのカッコよさのみが残った曲、という現在のクロマニヨンズにつながるスタイルになっていた気がします。

 そしてアルバム発売に伴い行われた全国ツアー「The★MUSTANG 04-05」で初めてハイロウズのライブを見ることができました。
日付はたしか高校の入学式の少し前、春休みだったよな、とうる覚えでしたが、wiki見たらツアー日程全部書いてました。すごい。
3/29(火) 徳島県郷土文化会館 が記念すべき人生初ライブです。
 さすがに一人で行くことは許されず、母親とヒロトファンの友人の3人で行きました。
ワクワクしすぎて開演何時間も前から会場のあたりをウロウロ。
物販でアルバムを1枚買うとメンバー全員のサインカードがもらえたため、2回並びなおして2枚もらいました。実家の勉強机に今でも飾っているはずです。

 あの日のセットリストまでは覚えてませんが、大好きな「即死」を演奏したこと、
ヒロトのMCで「徳島に着いてから、このあたりでおいしいものは何、って聞いたら御座候って言われた。それは岡山(ヒロトの出身地)にもあるんだよ」
って言っていたことを今思い出しました。

 しかし結成10周年の2005年、ハイロウズ解散するんじゃないか、といううわさがファンの集まる掲示板で飛び交っていました。
アルバムからのリカットシングル「スパイダー・ホップ」のカップリング曲「全滅マーチ」の
「点滅すんのがやっと」や「途切れ途切れ かがやいたことも 途切れ途切れ みんな なしなし」といった歌詞がハイロウズ解散を示唆しているのではないか、といったものだったと記憶しています。
 今思えば勝手に深読みしていただけなのですが、2003年にはキーボードの白井幹夫が脱退していたこと、またTHE BLUE HEARTSが10年目に解散していたことなどから、バンドが終わってしまうのではないかという不安にかられていました。

 そして11月12日の朝、この日のことは多分一生忘れないでしょう。
 この日は確か土曜日で、部活の練習試合があったためその準備をしながらテレビを見ていました。ニュース番組のスポーツ新聞ななめ読みコーナーで突然、ハイロウズという言葉が耳に飛び込んできました。
 「昨日11日、人気ロックバンTHE HIGH-LOWSが活動休止を発表しました。」

 父親に車で試合会場に送ってもらう間ずっと泣いていました。形あるものは皆無くなる、という当たり前のことを、愛するロックバンドの解散という初めての体験で身をもって知りました。親からすればなんてしょうもないことで泣いてるんだ、と思ったでしょうが・・・

 その後すぐヒロトマーシークロマニヨンズで活動を始めましたが、私はハイロウズほど熱心になれませんでした。その後はART-SCHOOL,syrup16g,GRAPEVINEといったバンドにはまり始めており、いつの間にかヒロトの歌を聞かなくなっていました。


 時は流れ2016年7月23日、場所はフジロック レッドマーキー。徳島のライブから実に11年ぶり、ヒロトの歌う姿を見ました。
この日のライブは本当に楽しかった。ロックンロールバンドがロックンロールを演奏する姿に我を忘れるほど興奮し、人のうねりに飲まれ最後はぎゅうぎゅう詰めの前3列目まで流されながら狂ったようにヒロトの名前を叫んでいました。もはや足は地面についておらず、心なしか平均年齢の高いオーディエンスの汗まみれになりながら。

 ロックの素晴らしさを教えてくれた人は、あの日と変わらず誰よりも楽しそうに歌っていました。きっとバンドの名前なんてあの人には何の関係もないことなのでしょう。

 ライブ終了後、人がはけたフロアに誰かの財布の中身が散乱していました。残った人で協力しながら持ち主を探し、無事見つかった時なぜか「ロックンロールって最高だな」と心から感じていました。酒で酔っていたのもありますが、こんな風に皆で助け合い、好きな歌を歌えば戦争は無くなるな、平和って最高だなと思いながらケバブをかじりました。
 私がライブ中に落とした帽子は戻ってきませんでした。

レンタル移籍ってありなのか

神聖かまってちゃん、契約切れとかじゃなくてレンタル移籍なんですね。
そんなのありなのか。
エイプリルフールに嘘と本当が混じったグレーゾーンな情報を流すのは流石のかまってちゃんぶりですね。
これからも振り回されていきたいです。
進撃の巨人ED決定おめでとうございます。

レーベル移籍 忘れらんねえよと神聖かまってちゃん

 今ナタリー見てたら神聖かまってちゃんがワーナーからポニーキャニオンに移籍するというニュースが出てました。
好きなバンドが移籍、しかもセールスがあまりふるっていない時は少し心配になるニュースです。
そういえばついこの間も忘れらんねえよが次の配信シングルをVAPではなくユニバーサルからリリースっていうニュースもありました。

 今回の両バンドに共通しているのは、ベスト盤を出した後にもう1枚ミニアルバムを出している所です。
昔はベスト盤 = 契約切れなイメージを持ってましたが最近はもう少し猶予が出来たということなんでしょうか。
かまってちゃん、忘れらんんねえよどちらのミニアルバムも初期のイメージを損なわずサウンドが洗練された素敵な作品だったのと思うのですが、劇的に売り上げが伸びることはありませんでした。

 売れるバンド、売れないバンド(忘れらんねえよもかまってちゃんも大きい会場でライブしているし今のご時世十分売れている側でありますが)って本当に最初に決まってしまいますね。
愛するコレクターズがもし今デビューしていたら、6枚目の名盤UFO CLUVまで世間は待ってくれなかったかもしれません。

 神聖かまってちゃんはインターネット発ロックバンドの第一世代として、様々な媒体でもてはやされていた記憶があります。
ライブやTVの過激なパフォーマンスの話題先行でどんどん知名度を上げていきましたが、その知名度が楽曲の良さの認知に繋がらないまま現在まで来てしまいました。初期の問題行動で主要なロックフェスに呼ばれなくなったり、ロッキングオンジャパンでインタビューが載らないことも尾を引いている気がします。
 初めて「美ちなる方へ」という曲をyoutubeで聞いた時の、ついに自分世代のロックバンドに出会えたという喜びは色あせていません。ファーストが2枚同時だったのもTheピーズと同じでワクワクしました。同じくファースト2枚同時の銀杏BOYZもかなり紆余曲折を経ながら現在も続いていますし、こうやっていろいろな苦労が訪れるのは最初に曲のストックを出し切ってしまうような向こう見ずで、しかし愛すべきバンドの特徴なのかもしれません。
 
 一方忘れらんねえよはデビューシングルから現在までかなりのタイアップがついており、事務所・レーベルからかなりプッシュされてきました。かまってちゃんと違いフェス常連組で、かつフェス対応型のパフォーマンスができるバンドなので決して知名度は低くないはずです。
ただ青臭さ、ダサさを前面に押し出すバンドはなかなか大ブレイクは難しく(フラワーカンパニーズと同じ轍を踏んだ?)、青春ロックブームが過ぎ去り早10年以上が経過した現在の音楽シーンで、セールスは3000枚に満たない所で頭打ちになっています。
「俺よ届け」なんて泥臭さを超越して一種の普遍性を手にした名曲だと思います。この前新潟で行われたライブは、コレクターズの武道館の次に見てしまったのでその差に少しがっくり来てしまいましたが、それでも好きなバンドです。

 ファンとしては続けてさえくれれば、という思いがありますが最低限売れていないとそれも難しい所。例えばeastern youthはインディー落ちしてから以前のような活発なライブは行われなくなりました。
 ただ忘れらんねえよは野音公演がもう明日ですし、かまってちゃんもまだ大会場でワンマンをやる可能性は残されていると思います(中止になった国技館からやり直してほしい)。続けていれば武道館、というルートは最近開かれつつあるので、ぜひそこまでたどり着いてほしいです。

 両バンドにもう一つ共通しているのは、シーンに押されて表舞台に出てきた十把一絡げのバンドではないということ。足取りがおぼつかなくなくとも現在立っている場所は自力で作り出されたものであり、少なくとも私にとっては、他の何かと替えのきかないバンドであるということ。
この移籍を機に更なる飛躍を願っています。

 

 

ロックバンド自分史(1) ミスチルからハイロウズへ

私が最初に好きになった曲はMr.Childrenの「Tomorrow never knows」だと以前親から聞きました。
幼稚園の行き帰り、サビをエンドレスで歌っていたそうです。
Theピーズと出会う遥か昔、夢や希望を無自覚に両手いっぱいに抱えていた頃の、自分では覚えてすらいない記憶です。

ロックバンドに出会うのは時が流れて中学1年生、剣道部で一緒になった同級生から教えてもらったTHE BLUE HEARTSでした。
それまでは父の影響でチューリップやオフコースを、母の影響で岡村孝子を愛聴していたどちらかというとフォーク寄りの少年だった私は、その日からこのロックバンドの虜になり、この質の悪い夢は今も醒めていません(岡村孝子は今でも大好きな、ある意味私のルーツミュージックです)。
日本中のロック少年と同じように「人にやさしく」の歌いだし一発でやられ、「リンダリンダ」「TRAIN TRAIN」を毎晩カセットテープが擦り切れるほど聴いていました。
当時はまだネットもそこまで発達しておらず、音楽の新しい情報はほとんど兄がいる友人経由くらいだったので、ほかのバンドに目移りすることなく8枚のオリジナルアルバムを繰り返し聴く日々でした(母がスピッツのベストアルバムを買っていたためスピッツも好きでしたが、当時はロックバンドと思っていませんでした)。

そんなある日、その友人からTHE BLUE HEARTSヒロトマーシーは二人でTHE HIGH LOWSをやっているという情報を入手。
さらにそのバンドは名探偵コナンの最初のOPを歌っていたことを教えてもらいました。
ヒロトマーシーが現役ロッカーであること、そして昔から彼らの歌に知らず知らずのうちに触れていたことを知った(コナンのアニメが始まったのは1996年,OPは「胸がドキドキ」)私は抑えようのない胸の高鳴りを感じ、その日のうちにレンタルショップにあるTHE HIGH LOWSのCDを全部借りてきました。

1st,2ndはあれ、なんか違うなと思いながら聴いていましたが3rd「ロブスター」、4thの「バームクーヘン」でテンションは最高潮。
次の日にその友人に自分で編集したTHE HIGH LOWSベストカセットをもっていき、二人で「即死」という曲のかっこよさで盛り上がったのを覚えています。
その時点での最新アルバムは編集盤の「flip flop2」。
THE HIGH LOWSの未来はオリジナルアルバムをあとたった一枚残すのみだということを、当時の私は知る由もありませんでした。

だれも読んでいないでしょうが、書けば書くほど楽しくなってきたので続きます。

耳鳴りから底なしへ ピーズとの出会い

酔って書いた文章を素面で見た時の絶望感は半端ないですね。
でもピーズが好きなのは本当なので何か書いてみようと思います。

最初にピーズを聞いたのは「耳鳴り」、高校生の時でした。
確か期間限定のPVみたいなのをたまたまネットで見たのが始まりました。
その退廃的な歌詞と演奏、そして投げやりに歌うベースボーカル。
ロックへの目覚めがTHE BLUE HEARTSで、THE HIGH-LOWSに夢中だった当時(ちょうど解散する前でした)、
こんなダルそうでかっこいいバンドがあるのか、と一瞬で夢中になりました。

ただ私の住んでいるど田舎のCDショップにピーズのCDなんてもちろん置いておらず、なかなか他の曲が聞けませんでした。
2005年当時まだyoutubeって一般的じゃなかった気がします。耳鳴りもPVを羅列した、検索機能もないようなサイトで偶然見つけただけでした。

ネットで情報収集する日々。一度活動休止してるだとか、実験4号という名曲があるとか断片的な情報を知るたびピーズへの思いは募っていきました。
ロックの基準がヒロトマーシーエレカシの宮本さんだった私にとって、あのけだるそうなバンドは本当に衝撃的だったのです。

そしてある日、市内の駅前にあるデパートで不定期に中古CDを売っている、という情報を同級生から聞きました。
何の根拠もなく「そこに行けばピーズのCDが手に入る」と思った私は、その日を心待ちにしていました。

そしてついに出会ったのが「どこへも帰らない」。2500円でした。高っ!と思ったのを今でも覚えています。ほとんど定価じゃないですか。
高校生の小遣いからほとんど聞いたことのないバンドのCD、しかも中古なのに高いのをポンと買うのにはかなり抵抗がありましたが、この機会を逃すと二度と会えないのではないかという強迫観念にかられ購入。
財布に帰りの電車賃は残っておらず、2時間くらいかけて歩いて帰りました。
今書いてて思ったのですが、いくらなんでもお金持ってなさすぎじゃないでしょうか。当時の小遣いいくらだったんだろう。

しかしこのCDは最高でした。特に「底なし」は繰り返し繰り返し聴きました。
当時部室でみんなで好きなCDを持ち寄ってかけまくっていたので、すぐに持っていきました。
先輩方は「ザーメン」をお気に召したようで、踊り狂っていました。皆銀杏BOYZ大好きだったし、下ネタ系のロック全盛期だったのかもしれません。素敵な青春の1ページです。

あの頃からいつの間にか12年経ってしまいました。
全く酒が飲めなかった私が仕事終わりにサッポロを買って帰るようになり、アル中のはるさんはお酒を止めました。
そう考えると12年って長い年月ですね。

Theピーズ 煤けた青春の果て

酔った勢いで初めてブログを作ってみた。
そしてTheピーズというバンドについて書いてみたいと思う。
それはこれまでの人生で繰り返し行われてきた、愛するバンドとの「別れ」がまた近づいているからである。

Theピーズは日々を生き延びることそのものをロックンロールにしてきたバンドだ。
世界を憂うでも誰かを鼓舞するでもなく、個人的な諦観や投げやりな気持ちをひたすら掘り下げたVo.& Ba.の大木温之(はる)という稀代のマイナーポエットによって紡がれた歌詞。
演奏が始まった瞬間に理屈ではなくただただ単純にロックのカッコよさを感じさせてくれるギター、ベース、ドラムの最小編成3ピースサウンド。
この躁鬱のような組み合わせの楽曲を積み重ね、ピーズは活動休止を挟んで30年もの月日を転がり、そして私は生かされてきた。
様々な苦難を乗り越えがら現在のメンバー編成になってすでに15年経つこのバンドは、これからも年十数本のライブと会場限定シングルの発表を繰り返しながら細々と、しかし当たり前のように生き続けてくれると思っていた。

Theピーズは今年、結成30周年記念の武道館公演を6/9に行うことを発表した。

そのニュースを耳にした瞬間、ついに行われる晴れ舞台への喜び以上に大きな不安を感じた。
6/9という日がTheピーズの「命日」なってしまうのではないか、という想いである。

これまで好きなバンド、例えばフラワーカンパニーズやコレクターズが武道館公演を発表した時は心の底から嬉しかった(syrup 16gを除く)。
それはバンドのそれまでの歴史を振り返り、そして武道館の先もバンドが続いていくことを確認するための盛大なお祭り、通過点として開催されてきたからである。
しかしTheピーズの武道館は「通過点」ではなくどうしても「集大成」そして「終着駅」のようにしか感じられなかった。
25周年の日比谷野音発表の時はこんな気持ちにはならなかった。
『実験4号』という曲に、確かに未来が昔にはあった、という歌詞があるがその通り野音の先の未来が強く感じられたからである。
ただ今回の武道館はそれが見えなかった。
それは漠然とした不安だが、この気持ちをどうしても拭い去ることができなかった。
なぜ素直に喜べないのだ、そこまでネガティブになる必要もなかろうと自分自身感じながら日々を過ごしていたが、
Theピーズのインタビューが載った音楽と人という雑誌を手に取った時その不安は現実のものとなった。

「これ、みんなせーせーできるチャンスだと」
「6/9の次の日から、もうバンドやらなくてもいいと思ってる。これは解散じゃないけど、当然活動停止だと思ってる」
「ここでやらなきゃいけないんだ。やれるだけのことをやれる、最後のチャンスがここなんだよ」

インタビュー中のはるの発言から、Theピーズは武道館をある意味の「死に場所」としてとらえていることがはっきりと分かる。
停滞した日常から一気に劇的な最終回を迎えるため、まるで10代の若者ように明日なき暴走を始めようとしている。

この記事を読んでかなり落ち込んだが、同時に私がいかにTheピーズのことを誤解していたかを確認することができた。
Theピーズは一般的なブレイクといった概念をとうの昔に振り払い、ただ今のメンバーでバンドを続けていくこと第一目標としているものだと思っていた。
現状を受け入れ、他愛無い夢を切り捨て、外の世界と折り合いをつけることが出来る大人になったのだと思っていた(はるさん健康のためにお酒まで止めてるみたいだったし)。
しかし、理想の音像やかつて描いた夢からズレて行くことへの不安や、ロックンロールバンドへの純粋な憧れを捨てることができないまま、バンドはずっともがいていた。ただ生きているだけでは満足できなくなっていた。
そして武道館という大きな目標が霧の向こうに見えたことによって、初めてのライブの高揚感の先にかつてあった、全てのバンドマンが一度は思い描いた一本道に、Theピーズは大きく遠回りしながらも戻ってきたのだ。
様々な事柄のツケを払い、落とし前をつける時が、Theピーズに来た。

今後Theピーズがどんな転がり方をしていくかは分からないが、これまでのように自分のままならない現状を重ね合わせながら聴くようなことはもうできないし、してはいけない気がしている。
そもそもこんな音楽の愛し方は不誠実であったかもしれない。
他人からもらった希望はすぐに温度を失い色あせていく。
諦めを携えながらでも、自分自身の希望を作ることでしかきっと明日へは進めないのだ。
私もある程度覚悟が決まりつつある。武道館がどんなに完璧なステージであっても、この煤けた青春を完全に清算しきることはできないだろう。
ただ、心の底から愛し、確実に体の一部であったバンドの「最期」を見届け、そして6/10に自分の足で踏みだす。