壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

「春の風」(どついたるねんRemix)が最高にいい

 サニーデイのリミックスアルバム「もっといいね!」が配信されてから、どついたるねんの「春の風」ばかり聴いてしまっている。

 共通項は曲名のみ、くらいの完全なる替え歌に、心を掴まれてしかたない。

 特に2番の歌詞は、オリジナルを思い出せなくなりつつある。替え歌バージョンを聴くたびに、原曲の空を眺める青年から、夜の墓場で運動会を繰り広げるヤバい人にイメージが上塗りされて行くのがはっきりと分かる。

 原曲の持っていた空気を完全に無視し、ただメロディに乗っただけの(メロディすら外れたり)どうしようもない言葉の羅列。しかしそれは、江ノ島オッパーラで初めて原曲を聴いた時に感じた、体の奥底から湧き出る感動と喜びを呼び覚ましてくれる。

 

 新たに作られたPVもたまらない。

 方やサニーデイの演奏をスマホで見て、抑えきれない衝動に突き動かされ走り出す青年。方やカレーを作るYouTuberを見ながら満面の笑みで走る赤い服を着たヤバそうな人。一体何に突き動かされているのか。

 ヨタヨタと走り出す瞬間が最高だし、スマホを持った手の方に重心がずれた状態で走る姿に意味もなくグッとくる。

 前者は人気のなさそうな、どことなく絵になる場所を走っているのに対して、後者は車や電車や店の灯りが映り込む、明らかに人の居住空間を全力疾走していることで、より不審者感が際立つ。

 ただ、2つのPVを見比べながら、根底は同じなのだな、と感じ始めた。理由が何であろうが、夜道を全力疾走する人は他人から見れば不審者だし、また走り出してしまうような感動、エネルギーを生み出すもの(ここではサニーデイとカレー動画)に優劣はない。

 繰り返すうちに、どんどんこのバージョンが好きになる。サビにエリッククラプトンがねじ込まれるなんて想像すらしていなかったし、曲終わりのでっかい車にぶつかったと思われる音で少し冷静になる。突発的な自殺衝動はどこか魅力を感じてしまう節があるが、迷惑さで考えれば、お墓でお供物を盗むやつの方がいくらかましだよな、とか。

 

 この1年は、サニーデイ曽我部恵一ソロを聴きあさり、数ヶ月先の小遣いを前借りしながらレコード集めに終始する日々だった(サニーデイは「若者たち」、ソロは「sings」、曽我部恵一bandは「トーキョーコーリング」を残すのみで、LPはコンプリートに近づきつつある)。

 来年には「もっといいね!」とソロ新譜のレコードを買うのだろう。全ての音源をきちんと咀嚼し、消化できているとは言い難いが、先の予定があるのは数少ない希望である。予算と埋まり切ったレコード棚をなだめすかし、新たなレコードをお迎えする喜びをこれからも味わえたらな、と思う。

 

 今日の夕食は、PVに影響を受け、キノコ入りのカレーを作ることにする。走り出したくなるくらい美味しそうなやつを。

 

 

the chewinggum weekend そして the MADRAS 鳴り止まない音楽たちへ(last)

 橋本さんにサインを貰うまでの思い出と自分語り、今回で最後。

 

 ライブ終演後、まずは物販でthe MADRASのCDを買うべく列に並ぶことに。自分の番が来て驚いたのは、ドラムの安蒜リコさんが物販を行なっていたこと(私はこの時初めて、バンドメンバーが物販を行うスタイルを見ました)。

 ステージで見た時もイケメンだな、と思っていましたが、間近で見ると更にイケメン。そのイケメンさに焦り、挙動不審になりながら「daydreamer」を購入しました。今思い出しても悲しい。

 この時点で喉はカラカラ。こんなことで橋本さんに話しかけるなんて可能なのか、と落ち込みながら、この日何杯目かのビールを購入することに。

 

 向かったバーカウンターで、私の前に並んでいたのが橋本さんでした。緊張を通り越し、一周回って穏やかなビートを刻み始める心臓。

 ここでビビって帰ろうものなら一生後悔する、逃げてはいけない。

 カバンからサインペンと「killing pop」を取り出し、息を潜めながら橋本さんの死角に立つ私。

 このビールを飲み干したら行くぞ、と決めたはいいものの、一瞬でカップは空に。やっぱり緊張してました。もう時間を引き伸ばす言い訳は残っていません。

 今だ、今しかない、行け、行け、と自分に言い聞かせながら、一歩ずつ近づく姿は、どう考えても不審者だったでしょう。

 遂に、橋本さんの前。ここで話しかけなかったらそれこそ不審者、という位置まで行き、遂に覚悟(観念に近いかも)を決め、声を絞り出しました。

 

「ずっとチューインガムのファンでした、CDにサインを頂けませんでしょうか」

 

 本当は記憶を美化し、色々橋本さんと話ができたことにしたいのですが、この日声になったのはこの一言のみ。あとはあ、とか、う、とかいう音がただ口から漏れるだけ。完全に勇気と気力をここで使い果たしました。

 そんな状態の私でしたが、橋本さんは優しい笑顔で「聞いてくれてたんだ、ありがとう」と言いながら、差し出したペンとCDを受け取ってくれました。

 

 ライブを出た時の、夜風の心地よさと足取りの軽さは、これまでに経験したことがないほど素晴らしいものでした。生きていてよかった。

 

 心残り、と言うかしまった、と感じたのは、橋本さんに書いてもらったサインが「チューインガムウィークエンド ハシ」であったこと。the MADRASというバンドをやっていて、そのライブ直後に、過去のバンド名を書かせてしまった。本来であれば、買ったばかりのthe MADRASのCDを渡すべきでした。

今となっては後の祭りですが…。

 

 あの日は、そういったことに考えが及ぶこともなく、ただ思い焦がれた人にようやく会えた喜びに包まれ、フワフワしながら帰りの電車に乗り込んだことを覚えています。何度も何度もCDを眺めながら。 

 

 あれから、時間が許す限り、the MADRASのライブには足を運びましたが、今はそれも叶わず。今年の頭、1月の高円寺が、今の所最後に見に行けたライブです。

 東京に行くことすら憚られる中、ライブハウスへのハードルは心情的に高くなっており、もうライブに行くことはできない、と悲観的な覚悟をしている部分もありますが、そう簡単に諦める事も難しく。

 いつかまた、という奇跡を願いながら、今日もCDを聴いています。

 

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山川直人「はなうたレコード」生活と孤独、音楽とコーヒー

8月も終わりのある日のこと。

朝7時、燃えるゴミを出すために外へ出た時、今年初めて「夏」を感じた。

夏というか、夏休みの匂いというか。

普段の出勤も同じ時間帯だが、その時は疲労以外なにも感じない。休日の開放感が手伝い、サンダルのまま近所を少し散歩した。

日中とは違う心地よい暑さ、セミや鳥の声、そして脳内のラジオ体操の記憶と直結する匂い。

今日は私の夏休みにしよう、と決めた。

そうとなればダラダラしてはいられない。

すぐ部屋に戻り、寝巻きを着替え、最近読めていなかった山川直人さんの本を持てるだけテーブルに持ってきた。

レコードプレーヤーに、ボブ・ディランではなくeastern youthのレコードをセットして(山川さんの漫画を読む時、いつも私の頭の中でeastern youthサニーデイサービスの音楽がかかる)。

コーヒー豆などはないので、1L100円の無糖コーヒーに牛乳をたっぷり入れたカフェオレを準備して。

「赤い他人」から「写真屋カフカ」まで、時系列順に一日かけて堪能し、最高に充実した一日となった。

 

山川さんの漫画を知ったのは昨年、web上で読める「はなうたレコード」で。可愛らしい絵柄が気に入り、月一の更新を楽しみにしていた。

「コーヒーもう一杯」というタイトルは聞いたことある、というレベルの、とてもライトなファンであったが、下北沢で開かれていた個展で「隣のテーブル」という4ページの短編の原画を見て、「好き」の度合いがギアチェンジした。

一本一本手書きされたテーブルや壁の模様に圧倒された。そして、孤独を前に叫ぶこともできない主人公の姿を見て、これは私のための漫画だ、という強い感銘(月並みな表現ではあるが)を受けた。

早く色々な話を読みたい。ネット、実店舗問わず、書店や古本屋で単行本を血眼で探し、つい最近ようやくあらかたの本を集めることができた。

 

先に私のための漫画だ、と書いたが、励まされたり癒されたり、人生に寄り添ってくれる漫画、という表現はあまり当てはまらない。

ただそこにあって、それだけでいい、という、素晴らしいロックを聴く感覚。もの言わぬ友、という言葉が今の所一番しっくりきている。

 

「古き良き」をエモーショナルに美化するでもなく、冷淡に突き放すでもない。それでもページからあふれてくる優しさは、「街」の目線によるものではないか、と感じる。

大都会ではなく、かと言って田舎でもない、漫画家も犯罪者も宇宙人も暮らす街。街はそこに住まう人間を選別しない。彼らの生活を許容し、眺め、それを映し出す物語の数々。

その優しさが顕著にあらわれるのが、喫茶店の描写である気がする。カウンターでマスターと話す人、談笑するカップル、一人で本を読んだり、何もせず窓の外を眺める人。皆思い思いにコーヒーを飲み、時折関わり合ったり、関わらなかったり。コーヒーが空になれば、それぞれの帰路へ。店に入る時も出る時もカランコロンと鳴るドアの鈴。

孤独を選べる幸せと、誰かといられる幸せと。漫画で描かれる街や喫茶店は、まるで止まり木のように、生活にいささか疲れた私たちの羽を休ませてくれる。

 

コーヒー、喫茶店、レコード、古本屋。この街の中、私も登場人物たちとどこかの交差点ですれ違ったりしているのではないか、などと考えながら、1ページ1ページを大切にめくる。最後まで読んだら、もう一度最初のページから。やっぱり山川さんの漫画は、とても大切なレコードと同じだ。

 

山川さんの漫画はスターシステムをとっており、「はなうたレコード」のカップルの豆太君ときな子ちゃんも、名前を変えて他の漫画に登場する。

「はなうたレコード」の源流は、「赤い他人」の中の短編「シアワセ物語」に見られる。そこから彼らを主役とした「シアワセ行進曲」へと繋がり、その生活は「道草日和」でもリメイクされている。そして、「ぼくはきみより頭がいい」に収録された「ひとりあるき」や「ネコときみ」にも、別れるカップル(を演じる?)彼らの姿がある。

 

豆太君は漫画家で、単行本が一冊だけ出ている、という設定から、「あかい他人」を出した頃の若かりし山川さんを投影しているのでは、と考えるのは野暮か。しかし、作者の人生が滲み出るのも創作物の常だと思うので、そうだったりするのかも、と勝手に思いながら読んでいる。

 

豆太君がRCのレコード(シングル・マン)を買って、お昼を食べるお金がなくなる所がとても好き。体育座りで歌詞を見ながらレコードを聴くのは「シアワセ行進曲」の描写と同じだし、時が流れても彼はそのままというか、どんな時代にも彼は生きているんだな、と思う。

 

きな子ちゃんが友人から結婚の話をされ、劇中でも現実と同じ時間が流れていることにハッとする。このままでいたい、というささやかな願いは、どうやっても今までとは同じ、というわけにはいかなくなった世界を考えると、とても眩く感じられる。

ただ、いくら変化を強いられる世界であろうとも、今の幸せな時間が続くように、という願いを待つことまで否定される謂れはないはずだ。

 

ここまで書くのに2週間経ってしまった。もう少し書きたいことがあったはずだが、これ以上とっ散らかるのもよくないので、とりあえずここまで。

9月も早1週間過ぎた今日、我が家にはボブ・ディランのレコードがある。amazonで購入したThe Freewheelin' Bob Dylan。ジャケットにはボブ・ディランとスージー・ロトロ。

永遠を切り取った、冬の街で寄り添う2人のジャケットが、「はなうたレコード」にはとても良く似合う、と思う。

松永良平「ぼくの平成パンツソックスシューズソングブック」の感想とつたない自分語り

独身最後の日、引っ越し当日。自分のための記録として色々書いておこうと思う。まずは、好きなものについて。

「ぼくの平成パンツソックスシューズソングブック」を手に取ったのは昨年末、ココナッツディスク池袋店にて。松永さんの扱っている音楽は高尚なもの、というイメージがあり、積極的にレビューを読んでこなかったが(松永さんに限らず、豊富な知識や語彙力がある人の文章を読むと落ち込んでくる、という悪癖がある)、「平成」という自分の生きてきた時代の元号に魅かれ購入。

帰りの電車で読み始め、途中からイヤホンを外して一気に最後まで読んだ。好きなロックのレコードを聴いている時のような、背中がカッと熱くなる感覚。それから今日に至るまで、この本を繰り返し読んでいる。

私は色々なことを忘れていく。大学の頃あれだけ詰め込んだ化学の知識も今やゼロに等しい。大震災の時の恐怖や絶望すら、今日のようなことになってようやく思い出す始末。そしてその恐怖すらもどこか他人事だったような気がする。ただ、音楽のことは(もちろん記憶を美化しながら、だろうが)やたらとはっきり覚えている。

父の影響でカーペンターズやシカゴ、村下孝蔵、チューリップ、オフコースを。母の影響で岡村孝子アルフィーを聞いていた小学生時代。風邪をひいた日には、一日中ラジカセで小田和正槇原敬之のベスト盤を流していた。

友人にTHE BLUE HEARTSを教えてもらい、近くのレンタルショップで借りた1stアルバムに感動した中学1年の5月。そこからハイロウズを知り、初めてライブに行った中学3年の終わりの3月。指定席のため並ぶ必要は全くなかったが、母を急かし(親同伴がライブへ行く条件だった)会場1時間前からドアの前で待っていた。ヒロトが表紙に出ていた雑誌を父が買ってきてくれ、そこに載っていたバンドを聞けるだけ聞いた。

ハイロウズ銀杏BOYZを部室でひたすら流し、先輩や友人と遅くまで踊っていた高校時代。そのあたりから、自分のロックは何か、みたいなことを考え始めた。モテることも一切なく、頼みの綱だった学業も悪化の一途をたどっていたあの頃。ART-SCHOOLsyrup16gGRAPEVINEeastern youthPEALOUTNUMBER GIRLtheピーズゆらゆら帝国岡村靖幸フィッシュマンズスピッツフラワーカンパニーズ、チューインガムウィークエンド。大学以降に聞き始めたのは神聖かまってちゃん忘れらんねえよくらいか。CDショップも満足にないど田舎で、CDを手に入れる手段はレンタルと古本屋の一角のみ。彼らの音楽を頼みに一日一日をなんとか凌いでいた。

部活のある土曜の朝、出発前に見ていたワイドショーでハイロウズの活動休止を知り涙が止まらなかった。一回もライブに行けないまま、syrup16gは私の高校の卒業式と同じ日に武道館で解散した。

暗黒の大学院時代、研究室を抜け出しNHKホールに復活した五十嵐を見に行った。社会人になり、これまでの反動でどんどんライブに行くようになった。特に初めてフジロックに行った2016年、天国は地上にあったんだ、と本気で感じた。好きなバンドも増えた。the MADRAS、スカート、台風クラブ、家主、おとぎ話、遅ればせながらサニーデイサービス。

武道館で素晴らしいライブを見る機会にも恵まれた。初めて行ったのはthe pillows。ノエル、フラワーカンパニーズ、コレクターズ、奥田民生チャットモンチーの解散ライブ、そしてtheピーズ

日々聴いていた音楽に付随して、当時のことがぼんやり思い出される感じ。音楽に生かされてきた平成元年生まれの31年。

前置きが長くなったが、そんな平成の日々を、私より20歳ほど年上の松永さんも音楽と共に過ごしていた、ということが分かり、それが何よりもうれしい本書。

時代に翻弄されながらも人生を切り開く、とか、お金はなくとも幸せ、とかそういった要素が無いわけではないが、分かりやすい紋切型のヒーローの半生記ではない。

未来への漠然とした不安と、それとは別に生まれ来る自信。生涯忘れ得ない煌めく瞬間と、それ以外の時間。かけがえのない出会いと、永遠の離別。そういった「生活」を繰り返し、積み重ね、そのそばにはいつも音楽が鳴っていた。

一人の音楽を愛する青年が、その時々に何を感じ、どんな曲を聴いていたか。好きな先輩や、居酒屋のカウンターで初めて会ったおじさんから聞く昔話のような、どこか優しく、心地よい話が詰まっている。

平成12年の章で、職人さんが恥ずかしそうに、エレカシが好きなことを松永さんに打ち明けるシーンがある。これは誰にも身に覚えがあるんじゃないだろうか。本当に好きなバンドのことを他人に話すのは、自分をさらけ出すのとほぼ同意で、なんとも言えず恥ずかしい。受け入れられなかったらどうしよう、という不安も付きまとう。信用した相手でないとかなり難しい行為だ。こんなやり取りはどの時代も、世界のどこででも行われているんだな、と思うとなんだか優しい気分になれる。

友人の黒木さんと、ジョナサンリッチマンの「ガヴァメント・センター」を聞いて興奮するシーンもまたしかり。部室で銀杏BOYZのCDをかけて、すごいすごい言いながら笑っていたあの日を思い出す。

素晴らしい箇所はそれこそいくつもあるのだが、個人的にとても嬉しかったのは、平成4年の章の30ページ。theピーズ「クズんなってGO」への言及があり、思わずやった、と声が出た。聞いてきた音楽や知識量、そしてそれらに対する愛は比較することすらおこがましいが(比較する必要すらないかもしれないけれど)、自分の大好きな音楽と、松永さんのそれにわずかでも接点があったことがとても嬉しかった。

接点と言えば、本書でも繰り返し言及されるジョナサンリッチマン。ハイロウズ経由で少なくとも高校の時までには聞いていたはずなのだが、当時はハイロウズより音が小さいじゃん、という理由でほとんど素通り状態だった。それが、昨年になって突然体にすっと入ってきた。youtubeで何とはなしに「Abominable Snowman In The Maket」を流して、なんだこれ、かわいくてカッコイイ、と驚いた。聞いているとどんどん幸せな気持ちになってくる魔法のような音楽。

RCサクセションも好きになったのはつい最近。「分かってもらえるさ」を聞き、こんなに優しい声で歌う人だったのか、と感動し、急いでディスクユニオンの通販でEPLPのレコードを注文した。ある日突然ピンときて、だんだん分かることがある(歩く花)の歌詞通り。最初は分からなくても、時間が経ってまた出会えることがあるんだな、と実感する出来事だった。

ここからはもう一つの思い出語り、1月10日にココナッツディスク吉祥寺店での、松永さんとスカート澤部さんのトークイベントの記憶。

早い時間に行われる法事に出るため、退社後東京に前乗りしたものの、礼服を忘れたことに新幹線内で気が付き意気消沈。やけになり、これからレコード屋にでも行こうか、とスマホをいじっていると、ちょうどその日の遅い時間、ココ吉でトークイベントがあることを知った。カバンの中には当然のように「ぼくの平成パンツソックスシューズソングブック」が。礼服は無いのに。これは神様の思し召しだ、とアホほど満員の中央線に乗り換えて吉祥寺へ。

店内に入ると、イベントを待つお客さんに紛れて、普通に松永さんがいらっしゃって驚いた。その後すぐ澤部さんも入店。控室とかないのかな、と思いながら7インチのコーナーを物色。お二人が並んで、年齢差関係なく本当に友達とするように、CD棚を見ながら談笑されているのをチラチラ眺めることが出来たのは幸せだった。

トークはお互いにレコードやCDをかけたり、本の中でも触れられていた、ミックスCDを介した二人の出会いや、発売前の「駆ける」の話をしたり。あの時流してた音楽、きちんとメモしておけばよかったと今更ながら後悔するが、楽しい時間を過ごせた。

トーク終了後、松永さんが過去作ったリズム&ペンシルの冊子やパンフのプレゼントコーナーが。私は2000年のジョナサンリッチマン来日記念号を頂けた。中にはヒロトのインタビューも。この冊子を松永さんが作られたのは31歳で、今の私と同じ年。ようやくジョナサンリッチマンの魅力に気づくことが出来た今、これを頂けたのには意味があるんだろうな、と喜びでフワフワしていた。高校生の時の自分とか、色々なものがここにきてようやく繋がっていく感じ。

イベント後には本にサインもいただけた。theピーズが好きなんです、と話しかけると、松永さんも30周年の武道館に行ったよ、とのこと。この本と小冊子、この2つは後生大事にしよう、と誓った。

 

あの日々からは断絶されてしまうのだろうか。分からないことを後ろ向きに考えても仕方がないかもしれないが、今のところ展望は見られない。同時に、あれだけ救われてきた音楽に対しての無力さを感じる。好きなバンドのグッズを通販で買い、好きなレコード屋の通販を使い、署名し、ドネーションに参加し、好きなバンドをサブスクで聞き。できることはしているつもりだが、どれも「可能な範囲」の微々たる額。ちりも積もれば、であることは分かっているが、これだけでこの先乗り切っていけるとは到底思えない。それに参加していないクラウドファンディングも山のようにあり、この時点で助ける・助けないの判断をしていることに気が滅入る。この無力さは、選挙に行って、開票速報を見ている時の気持ちに似ている。私の票に意味などないじゃないか、と。

こんな気持ちになる原因は明らかだ。誰かが用意してくれた枠組みでしかアクションを起こしていないからだ、選挙も今回の支援も。こんな状況になっても誰かが何とかしてくれる、と思っていることが悲しいし、腹が立つ。だって本当に何とかしたいなら、好きな店に自分の貯金を持って行ってドンと渡すこともできるはず。それをしないということは、我が身可愛さが勝っていることの証左に他ならない。自分の生活を崩したり、自分が悪者になることを怖がっている、それが白日の下にさらされただけだ。

コロナ禍の少し前、私は新たな夢が出来た。そして、この夢は今動き出さないと叶わないものになってしまう、という確信にも似た焦りがある。

できることをするしかない。そして何かを自分で決め、始めなければいけない。出社はせざるを得ないが、何とか病気にかからない、うつさないような生活を。ライブハウスがなくなって、あの頃はよかったと思い出話をするのではなく、今日のライブも最高だった、と言いたい。

いつも以上にとりとめがなく、無駄に長くなってしまったが、これから先、自分の記憶を都合の良い方向に書き換えてしまわないようにしておきたかった。そろそろ冷蔵庫の配達が来る。

the chewinggum weekend そして the MADRAS 鳴り止まない音楽たちへ(4)

2018年4月22日、CLUB251。この日のイベントのタイトルは「GIVE ME UP」。4バンドが出演し、the MADRASの出番は3番目。

始めて橋本さんを見て浮き足だった状態の私、
トップバッターの若いバンドの演奏が始まっても、初めて入るライブハウスのアウェー感も相まって、どこか所在なくソワソワしながらライブを眺めている状態。

2番目のバンドの演奏が終わった後の転換タイム、最前列の中央がポッカリ空きました。しばらくキョロキョロしても誰も詰める様子もなく。ここで恥ずかしがっても始まらない、憧れのバンドの演奏を間近で聞くチャンスだ、と意を決して前へ。

最前列でライブを見るなんて初めてでしたが、柵前にいるのはお姉様方ばかり、そういえばコレクターズの加藤さんも最前はレディー専用と言っていたよな、といらぬ不安で頭がグルグルしながら客電が落ちるのを待っていました。

CLUB251は花道がフロアの真横にあり、スタンバイしているメンバーが丸見えの不思議なライブハウス。the MADRAS (と思われる)メンバーが準備を始め、にわかに心音が大きくなります。
スモークが炊かれ、フロアが暗くなり、準備を始めるメンバー。そして最後に橋本さんがステージに上がって来ました。

それにしても近い。比喩でも何でもなく、手を伸ばせば届く距離に橋本さんがいる。
1曲目が何の曲だったか失念してしまいましたが、声が20代の頃のチューインガムウィークエンドのCDと変わらないことに心底驚きました。初めて橋本さんの歌をパソコン越しに聞いたあの日とここは地続きなんだ、と思うとそれだけで感動が胸にどんどん押し寄せて来て。

マイクを通さない生声や息づかいまで聞こえて来る距離。念願の「ロスト」も聞けましたが、この日一番感動したのは「ルーザー」でした。この曲を聞いて、the MADRASは「元チューインガムウィークエンドのボーカルが在籍するバンド」という枕詞が一切必要のない、現行のロックバンドであることを確信しました。

この曲の時、橋本さんがステージのかなり前に出てきており、目が合ったら邪魔になるのでは(そして恥ずかしい)、と極力不自然にならない程度に視線をずらす、という今思えば意味の分からない努力をしていました。そもそも最前列の客が目を逸らして不自然でない訳がない。

ライブはあっという間に終わりましたが、興奮で体温は上がったまま。高校の頃から憧れていた人の歌を聞けた感動以上に、夢中になれる、これから一生を共にできるバンドに出会えたことへの喜びに打ち震えました。

すっかり緊張も解け、最後のNUDGE 'EM ALLのライブはフロアの後ろでノリノリで踊りながら楽しむことができました。アンコールでは橋本さんもステージに上がり、イベント名でもあるMichael Fortunatiの「GIVE ME UP」を歌っておりました。この時、橋本さんは歌詞のカンペを片手に歌っていた記憶があります。

ライブは全て終了、徐々に人が減るフロア。the MADRASのライブを見ると言う夢を叶えたばかりですが、何とか橋本さんとお話しし、可能なら「killing pop」にサインをいただく、という精神的な負荷マックスの重要ミッションが残されていました。


今日も最後まで書き終わりませんでした。
もう一回だけ続けたいと思います。



Amazon Musicにあるthe MADRASのルーザーを紹介します https://music.amazon.co.jp/albums/B0851DV3JJ?do=play&trackAsin=B0851FGWXB&ref=dm_sh_VyY93qVQOK5sSIR0XPip0tyYm

the chewinggum weekend そして the MADRAS 鳴り止まない音楽たちへ(3)

もっと早く続きを書くつもりが、いつの間にか2年の月日が流れていました。

sakurai-t-af.hatenablog.com
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色々記憶から抜け落ちている事柄はあるかもしれませんが、あの日の興奮は、ずっと心の中に残っています。

the MADRASのライブを見に行く。
新たな人生の目標を見つけた私ですが、当時は新潟勤務、日程が合わなかったり、東京のライブハウスに行くのには抵抗(というか恐怖)があったりで、中々実行に移すことが出来ずにいました。
ライブの日程を眺め葛藤する日々が続く中、奇跡のような1日を見つけました。2018年4月22日、昼は下北沢シェルターサニーデイ・サービス台風クラブの対バン、そして夜に同じく下北沢のCLUB251でthe MADRASの出演するイベント。
この日だ。この日に東京に行くしかない。

ライブハウスで邪魔にならぬよう、小さな鞄に財布とチケット、黒のサインペンと「killing pop」のCDを忍ばせ、緊張の中、始発に乗った記憶があります。
もちろん出待ちなどしたこと事がなく、また仕方も正直分かりませんでしたが、何としてでも橋本さんに会って、直接お礼を言いたい、いや、言わなければならない。強い決意を持ち、東京に向かいました。

思えば、あの日見たバンドが今の私を生かしているのだな、と感じます。まずこの日は、サニーデイ台風クラブが最高でした。2バンドともライブを見るのは初めてでしたが、お昼から満員のシェルターでロックを浴びたいだけ浴びた、幸せな記憶。人生をやり直したい、などと今更思うこともありませんが、この日にだったら戻りたい、そんな1日でした。これ以降、サニーデイや曽我部さんのソロ、台風クラブのライブは行けるだけ行きました。
今調べたら、前日の21日には松本でart-school を見てました。「In Colors」のツアー。ナカケンさんが木下さんのMCのマズさにふざけんなよ、と言っていました。そう言えばライブ終わりに入ったお店はとても美味しかった。あの興奮に出会える日が、いつかまた来るのだろうか。
そして前日が松本なら乗ったのは新幹線じゃなくてバスだ。そして小さな鞄だけでなく、着替えの入った大きな鞄も持っていたはず。やっぱり曖昧な記憶。

シェルターを出て、夜になるまでディスクユニオンでレコードを漁っていようと思いましたが、ソワソワしすぎて全く集中できず。下北沢で食事する勇気も出ず、そのまま251へ向かいました。
この日、私が251の扉を開けた時点でお客さんは数人。あと30分なのになんだこの入りは、場所か時間を間違えたか、と本気で焦りました。昼のシェルターとの落差。結論から言えば、開演後にはかなり埋まっていたのですが。
フロアに出されたテーブルにもたれ、この日3杯目のビールをチビチビ飲みながら、せわしなくあたりをキョロキョロ。
ビールもあっという間に残り少なくなり、何とはなしにバーカウンターをふと見た時、脳が事象を把握する前に、突然胸がギュッと苦しくなりました。

橋本さんだ。

それこそ歌詞カードくらいでしか見たことがない(それも昔の写真)にも関わらず、本当に瞬間的に分かりました。早くなる鼓動。
当時の私は、開演前に演者がフロアにいるようなライブハウスに行ったことがなかったため、まさかの事態に汗が止まらなくなりました。

お話したい。いや、お声をかけたいのはやまやまだが、それこそ仕事前にそんなことをしたら迷惑ではないか。そしてそんなミーハーな真似をして恥ずかしくないのか自分、などと自問自答しながら、間違っても目など合わないように、何回も何回も橋本さんをチラチラ遠目で眺めていました。今思い返しても気持ちの悪い、不審者そのものの挙動でした。

あの日を思い出して夜中にテンションが上がる一方ですが、今の世界とのギャップに悲しくもなり。
まだ書き終わりそうにないので、もう少しだけ続けます。