壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

神聖かまってちゃん 夕暮れの鳥を聞いて思うこと

先月出た神聖かまってちゃんのNewシングル「夕暮れの鳥/光の言葉」を聞いています。

思ったのは、昔のtheピーズもこんな感じだったんだろうか、ということです。
最近なんでもピーズと絡めて考えてしまいますが、2つのバンドの共通点は意外とあると思うのです。

まずデビューアルバムが2枚同時。
バンドに付きまとうデビュー時のパブリックイメージ。
そして上がり続ける楽曲のクオリティーと比例しない周囲の評価。

特に最近のかまってちゃんは演奏も格段に上手くなり(theピーズはマスヒロからウガンダのドラム交代で演奏力が一度落ちています)、
前のシングル「ズッ友」やミニアルバムに収められた「きっとよくなるさ」「そよぐ風の中で」など、売れることを意識した曲を意識してリリースしています。

そして今回の、大きなタイアップもつき満を持して発表したシングル。
オリコンランキングのウィークリーチャートの50位以内にも夕暮れの鳥は入っていませんでした。

もちろん売れることが全てででは無いし、売れていなくてもいい曲なんて言うのは沢山あるはずです。
ただバンド側が売れることを目標にして、その目標に対して正当なアクションを起こしているにもかかわらず結果がついてこない、というのは無力感というか、かなり苦しい状態だと思います。
じゃあ何をすればいいんだ、と。

新宿のタワレコで行われたインストアイベントで、ボーカルのの子は今大人気のバンドに悪態をついていました。
普通に働けそうなやつがバンドなんてするんじゃねえ、あんな曲の何がいいんだ、と。
一方で、集まった観客にシングルを一人で何枚も買え、と叫んでいました(もちろん冗談半分なのでしょうが)。

おそらくの子がディスっていたバンドは、ファンの複数買いによって支えられているバンドではないでしょう。
いずれのバンドも過去に憧れたであろうバンドのサウンドをビルドアップして、新たな価値観として提示しているバンドです。
その楽曲は好みの差はあっても、頭から拒絶される類のものではありません。

かまってちゃんはそうでない、人を選ぶバンドとしてデビューしてしまいました。
「ロックンロールは鳴りやまないっ」だけで無く幅広い音楽性を持った楽曲が当初からたくさんありました。
しかし周囲は最も分かりやすい破壊性、ラディカルさを前面に押し出したイメージ戦略をとり、バンドもそれに乗っかりました。

もちろんそれはかまってちゃんの一つの側面であり大きな魅力です。
ただ何の世界でもそうですがイメージチェンジ、ってとても難しいことだと思います。
最初からバンドのふり幅の大きさ、メロディの良さをアピールできる方法はなかったんだろうか。

かまってちゃんに良い印象を持っていない人はどんないい曲を作ろうとわざわざ聞かないだろうし、初期のイメージが強いファンの中には耳当たりの良くなった曲に拒否反応を起こす人もいるでしょう。
大がかりな宣伝も大切ですが、ある意味小手先だけでは現状を変えられないところまでバンドは来ていると思います。

こうなれば、もう継続は力なり路線といいましょうか。
ピーズやフラカンやコレクターズのように活動をひたすら続けていく路線に乗るのが一番いいんじゃないかな、と勝手に思っています。

「きっとよくなるさ」ではないですが、続けてさえいれば、そして生きていさえすれば何かまた新しい局面に入ることもあると思います。
フラカンなんて初期のアルバムにはなんだこの軽薄な曲は、というのもちらほらありますが、今となってはその若々しさがステキに感じることが私はよくあります。
この前の野音の「ホップ ステップ ヤング」なんて最高でした。

年を重ねたかまってちゃんがゴリゴリの技巧派バンドになって、曲もエイフェックスツインみたいなのばかりになって、そんな中で俺たち昔はこんな曲もやってたんだぞ、という感じで「ロックンロールは鳴りやまないっ」を演奏するなんて未来があってもいいんじゃないでしょうか。

CD,レコードを出すということは文字通り「記録」をここではないどこかへ、または今ではないいつかへ届ける作業だと思います。
そのいつか、が来るまで神聖かまってちゃんには鳴り続けて欲しい、と願っています。

シングルは一応2枚買いました。