壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

岡村靖幸と神聖かまってちゃん 恋とバスケと夏と陸上と青春と

昨日はMステの後、ずっと岡村靖幸を聞いていましたが、今日はずっと神聖かまってちゃんを聞いています。
今年の予定がもう何もないことに気づいて心がストンと落ちたのと、
「そういえば昔、『岡村ちゃんとかまってちゃん』っていう対バンイベントがあったな」とふと思い出したのがきっかけです。
調べてみると2012年の新木場。もう5年前ですか、月日が経つのは早いです。

確かかまってちゃんは「8月32日へ」というアルバムを出して、テレビでも暴れたりしてかなり調子が良かった頃だったと思います。
しかし何回見ても素晴らしいタイトル。
楽しい夏休みを終えた後、他の皆にはある次に向かう場所が自分だけない、このままどこにもつながらない時間のなかで生きていくことへの少しの恐怖と、一方で永遠に続くような休みへの無邪気な期待が入り混じった、神聖かまってちゃんのすべてを内包したようなこのタイトルと、メンバー4人が森の中で並んでいるジャケットがずっと大好きです。

一方の岡村靖幸は3回目の逮捕による服役を終え、ベストアルバム「エチケット」をリリースした後くらいの時期。
この頃、私は岡村ちゃんの復活を無邪気に喜んでいなかった記憶があります。
覚せい剤使用が初犯でないと知った時もかなり落ち込んだのに、まさかの3回目。
「エチケット」ですっかりアレンジが変わった楽曲をまだ自分の中で消化できていなかったこともあり、麻薬はやっぱりやめられないんだな、と思うと同時に音楽なんかやってる場合か、才能があれば何でも許されるのかと、若干の憤りを覚えていた気がします。
今でこそ年2回のツアーが安定して行われる良き時代になりましたが、ふとあの頃を思い出す時があります。

両者の共通項として、ある一定の空間、時代設定に固執するという要素があるかな、無いかな、とあやふやですがまあそんな気がしています。
岡村ちゃんはバスケだったり14歳だったり。
かまってちゃんはかつて学生だった頃の夏休みだったり。
かつての悶々とした状態を、肯定的に表現に昇華させている曲がこの2組のアーティストにはたくさんある気がします。

そんなことを考えながら、鬱々とした気分でかまってちゃんを聞きながら漫画を読みながらゴロゴロするという、休みを無為に浪費していた今日この頃でしたが、ふとめくったページに聞き覚えのある、見覚えのあるセリフがありました。

恋は雨上がりのように」という漫画で(20代後半の独り身がレジに持っていくには少々抵抗を感じる青春漫画なのですが)、陸上部の主人公が練習中にコースを逸れ、街が一望できる場所で風を感じながらふと「夏が流れてく・・・」とつぶやくシーンが。

あれ、これかまってちゃんの「リッケンバンカー」の歌詞にもあったなと気づき、そういえばとページを戻すと、
主人公が「走りながら聴くと気持ちいいの、その曲」とイヤホンを友人に貸すシーンがあり、
さらに扉絵に描かれたipod(なのかどうかは持ってないので分からない)の画面には見覚えのある「夏、インストール」のジャケらしき絵と共に「神聖かまってちゃん、リッケンバンカー」と小さい文字が。
聴いていた「死にたい季節」をいったん止め、「リッケンバンカー」を再生しながらもう一度その話を読み直しているうちに、落ちていた気持ちが少し軽くなるのを感じました。

そういえばかまってちゃんには陸上部の歌もあったな、と連鎖的に思い出しながら(「らんっ!」という曲とずばり「陸上部の夏」という曲です)
岡村ちゃんとかまってちゃん、そしてこの漫画に共通するテーマは「青春」という必ず通り過ぎてしまう、そして通り過ぎた季節を、その渦中にいる人間の視点と、それを俯瞰できる人間の視点から、いかに鮮やかに切り取るかという点だなとひとり納得したので、そろそろビール飲んで寝て明日の仕事に備えようと思います。


あと、いつもは30人のアクセスが限度のこのブログなのですが(見てくださっている方ありがとうございます)、昨日Mステの岡村ちゃんの感想を書いたら一気に200程アクセスが増えました。やっぱり岡村ちゃん、いや岡村靖幸さんはすごい。