壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

エレファントカシマシ 備忘録

備忘録というか懺悔みたいな文章になるかと思います。

私はずっと自分のことをエレファントカシマシの熱心なファンだと思っていました。
CDショップで買った「俺の道」に衝撃を受け、
少ない小遣いからレンタルやブックオフエレカシのアルバムを集め、正座して聴いていたあの頃。
syrup16gスピッツ、そしてエレファントカシマシ
音楽を聴きはじめてこの3バンドが心から離れたことはない、そう思っていました。

ただ、前回新潟でライブを見た時からどこか違和感を抱えていました。
こんな完璧なライブの後なのに、どうして楽しかった、以外の感想を自分は覚えないのか、と。
もっと心を奮わされてしかるべきなのではないか、と。

そして今日(もう昨日か)、富山でのツアーファイナルを見てその理由がはっきりとしました。

今の私は「奴隷天国」で歌われる屍そのものだということ。
「何笑ってんだよ、そこのお前だよ」と歌う宮本さんの目を直視できない。
エレカシの楽曲が幾度となく伝えてきたメッセージを一切血肉とすることが出来ていない、
つらいつらいと同情を請うている現状の自分に、宮本さんの言葉が届く訳はありませんでした。

「悲しみの果ては 素晴らしい日々を送っていこうぜ」(悲しみの果て)
「明日もまたどこへ行く 愛を探しに行こう」(今宵の月のように)
「明日も頑張ろう 愛する人にささげよう」(四月の風)
「さあ行こうぜ どでかい明日へ」(夢を追う旅人)
「曇りのち晴れ そうさ私は出かけてゆく」(風と共に)
そして戦う男、ファイティングマン。
ぱっと思い浮かんだ歌詞や楽曲を並べてもすぐに分かります。

今日がどんな日であっても、未来を信じ、ファイティングポーズを崩さず、明日を生きる。
エレファントカシマシは常に生きている自分を見つめそれを肯定し、明日へ向かっていくための正のエネルギーを発し続けるバンドであったはず。

それに引き換え現在の私は、人に何か少し言われただけでひどく落ち込み、
それをすぐ未来への絶望、自己否定に繋げ、何の現状の改善もしないままただ言い訳と妥協を繰り返し、
お酒と惰眠で現実逃避をしながら部屋で一人腐っていく生き方をしてしまっています。

思えばその生き方が楽なのでしょう。
どうせ自分は劣っている、ダメだと自己完結すれば、何かを改善するための努力、そしてそれに伴うであろう苦痛から目をそらすことが出来る。
ただ、日々少しづつ仕事でも社会的にも未来は狭まりつつあるという事実は変わらず、そこからまた逃げるために自分の殻にこもる負の連鎖は続いています。
死ぬまでこれで生きられるならそれはそれでありかもしれませんが(おそらく幸せからは最も遠いであろう生になるでしょうが)...

とりとめない文章になってきました。
また明日落ち着いてから、ライブの感想と一緒に書きなおそうかと思います。