壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

エレファントカシマシ 12/9 富山オーバードホール

富山へ向かう鈍行列車の中、いつになく穏やかな12月の日本海を眺めながらぼんやりと考え事。
何でもないことですぐ折れる心との付き合い方について。
これまでの学生時代はあと何年、という明確な区切りがあったため、しんどいことがあっても何とかだましだましながらも頑張ってこられたが、
いよいよこの縁もゆかりもない土地で死ぬまで生きていく、と決まってから自分を支えるものが何も見当たらない状態です。

あらかた固まった職場での立ち位置。
転職可能な年齢から少しづつ遠ざかり、日に日につぶしがきかなくなっていく。
大好きなライブも、始まるまでの1人でいる時間にどんどん耐えられなくなってきて。
自分のためだけに生きる、ということが精神的にどんどん難しくなりながら、かと行って一緒に生きていけるような人もなし。
来年のフジロックまでどうやって生き延びようか、と考えながら富山駅北口の目の前、オーバードホールに着きました。

どうして楽しみなエレカシのライブ前にこんなテンションなのか、我ながら情けなかったです。

4階席ながら最前列、ステージ全体がよく見渡せるなかなか悪くない席でした。
1年続いたツアーファイナルとあって、富山以外からもたくさんのお客さんが来ている印象でした。
なぜか名古屋Tシャツを着た人が目についた気がします。

会場が暗転すると同時に湧き上がるものすごい歓声。
この日一番印象に残ったのは、曲終わりの拍手が宮本さんのMCが始まるまで鳴りやまない、という曲がたくさんあったこと。
誰もがこの日を待ち望んでいたことを表す万雷の拍手。
ホール全体が多幸感に包まれていた3時間でした。

セットリストは、新潟の時と比べて「Destiny」「やさしさ」「TEKUMAKUMAYAKON」「花男」がout,「RESTART」「友達がいるのさ」「涙」「待つ男」がin。

ライブで聞く「ハロー人生!!」はCD音源の1000倍いい曲。
混迷期、試行錯誤の日々を乗り越えて、30周年、何回目かの絶頂期を迎えているこのバンドを支えてきたのは、何があっても明日を生きる、という自分を鼓舞する宣誓のようなメッセージ。
それが二束三文の応援歌になぞ決してならないのは、宮本さんの人間力とバンドの説得力の賜物でしょう。
そして初めて聞く「RESTART」も大名曲。
「やっぱり本気な方がいい」と歌う宮本さん声に、お前はそれでいいのか、と体を揺さぶられるような気持ちに。

現在の私は「奴隷天国」で歌われる屍そのもの。
他のお客さんのように拳を挙げ、歓声で答えられないのは宮本さんが鬼気迫る姿でつぶやく「おめえだよ」の対象に他ならないからです。
同情を請うて果てる前にもう一度立ち上がらなくてはならない、しかし足の踏ん張りがなかなかきかないのがもどかしい。

また一方で、そんなウジウジした感情を吹き飛ばすような瞬間がこの日のライブには何回もありました。
友達もめざましテレビで見たと言っていましたが、宮本さんが感極まって「悲しみの果て」の最後の部分を歌えなくなった場面はこの日のハイライトの一つ。
宮本さんのかわりにお客さんが合唱しようとしたシーンで、もう完全にもらい泣き。
タオルで顔をクシャクシャに拭いた後に歌われた「今宵の月のように」は、今まで聞いた中で最も心に響く「今宵の月のように」でした。
拍手の大きさもこの曲が一番大きかったように思います。
「翳りゆく部屋」の後の、母親と喧嘩すると最後にはあんたは私から生まれてきたんだ、という時空を超えた必殺技を出されるという曲から全く脱線したMC。
「RAINBOW」「ガストロンジャー」と続く間違いなくエレカシ以外には表現できない、圧倒的としか言いようがない楽曲。
「風と共に」はおそらく一生聞く曲の一つになると思います。

アンコールの最後は[待つ男」。しびれるの一言です。
紅白歌合戦で会おう、とステージを降りるメンバー。
エレカシはこれからもずっと続いていきますが(そうであってほしい)、大団円と呼ぶにふさわしいライブでした。

北陸は冬になれば天気は鉛の曇り空一色になりますがこの日は晴天。久しぶりに月も見れました。
簡単に心機一転できる精神状態ではありませんが、気持ちを新たに前を向いていこう、と思い直すことが出来た非常に大切なライブになりました。

エレカシのライブに行くまでに少しでも人生の歩を進め、次こそは「奴隷天国」を心から楽しめる自分になりたいな、と思います。
とりあえず自己肯定と体力づくりともう少し仕事を頑張るところからかな。
生きるのであれば、本気な方がいい。宮本さんが言うならきっとそうなのだと思います。


エレファントカシマシ「RESTART」