壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

syrup16g 3/20 新木場STUDIO COAST「冥途」思い出し感想(1)

syrup16gの新木場ライブからしばらく経ちました。
今日「音楽と人」のインタビューを読んで、前向きな活動休止であることに安堵し、それと同時に活動休止という事実に少し寂しくなったり。
今更1年2年なんともないと思っていましたが、やっぱり待つのは悲しいですね。

今回のツアー、私は前半戦は初日のzepp、後半戦は新潟13夜、そしてファイナルと3回行きました。
チケットを取った時はいくら何でも多すぎるかと思いましたが、全てセトリも異なり本当に行って良かったです。


そして、それらの公演で感じたのは、私は以前のようにsyrupに「救い」を求めていないし、そういったお客さんが以前に比べてかなり増えているな、ということです。

かつてのような教祖の教えを聞き漏らさぬようじっと立ちすくみ、またその一挙手一投足を見守るような信者の集い、という空気はかなり薄れたように思います。
激しい曲で盛り上がり、ミスがあれば笑いが起こり、気軽に声かけができる、健康的な環境。
私は圧倒的地蔵派だったので少し寂しい気がしないでもないですが、必要以上にsyrup16gのライブを閉鎖的にしていた要因は私のようなファンにもあったと思うし、syrupが懐メロではなく現在進行形のロックバンドとして受け入れられている現状は間違いなく正しいし、歓迎すべきものだと思います。

私自身もsyrup16gの音楽の聴き方は昔とは変わりました。
楽曲に過剰な自己投影や救いを求めなくなったことにより、その曲の持つ魅力を素直に感じることが出来るようになりました。
加えて、ライブで演奏が格段に良くなっていることもsyrupの楽曲の素晴らしさの再認識に繋がっています。

再結成後、キタダさんがサポートメンバーではなくメンバーとしてクレジットされてから、そして活動休止中も中畑さんがドラマーとしてのキャリアを積み上げたことにより、バンドサウンドは以前とは比べ物にならない強固さを持ち、楽曲に更なる熱量を与えました。
少々ギターがよれようがとちろうが揺るがないリズム隊。
syrupの楽曲自体をより楽しむことが出来るようになったのは、バンドが出す音自体に信頼感を持てるようになったからだと思います。

再結成後のライブ、スタンディングではほぼマキリン側に陣取っていたのですが、あの自分の鼓動とは異なるベースのリズムが足元から体に入り込んでくる感覚は、もう言葉では言い表せられない多幸感のシャワー。
そしてマキリンのベースにピタッとくっつき、時に吼えて荒ぶる中畑さん。
楽曲にそぐわない過剰な手数を叩いたり、シンバルがシャリシャリうるさいドラマーとは真逆の、ベースに寄り添い、ときには牽引する、楽曲をより際立たせる1音1音が会場中に響く中畑さんのドラムがある限り、五十嵐さんは何を歌っても安泰だな、と感じます。
今回のツアーのsonic disorderと落堕の完成度の高さは過去に類を見ない物でした。


結局新木場の感想にたどり着きませんでした。
明日は冥途Tシャツを買うために1時間並んだところから始めようと思います。