壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

恋は雨上がりのように ルパンを超えた店長

世間は明日からGW。
そんな風潮をものともせず明日も絶賛出勤の私が残業を終え意気揚々と帰宅すると、ポストにamazonから「恋は雨上がりのように」最終巻が届いておりました。

最高の締め方だったのではないでしょうか。
早速お酒を買い込み、1巻からじっくりと読み直し現在このブログを書いております。
おそらく今回も支離滅裂な文章だと思います。絶対自分では読み返したくないです。


感想としましては、マンガ(アニメ)のかっこいい中年ランキングがあれば、店長はカリオストロのルパンを超えたな、ということです。

中年が真っすぐな少女の想いと対峙した時、どう振舞うのが正しいのか。
全ての日本男児が「カリオストロの城」のラストシーンで学んだことと思います。
目の前の少女を抱きしめたいという葛藤に打ち克ち、広がる未来への道へ少女を戻して去っていく。
そういう大人になりたい、と思ったかつての私(現在28歳独身)は500mlのビールでへべれけになっています。


店長の振舞いはルパンを彷彿とさせるシーンが多々あるな、と今回読み直して気が付きました。
捕らわれた(本作は精神的に、クラリスは物理的に)少女の心を手品で解きほぐそうとする所とか。
自身の恋心を自覚し、終わりの時を引き延ばそうとする自分に気が付きながら、主人公のために思いを断ち切り、陸上への復帰を促す所とか。

しかしルパンとの大きな違いは、店長は泥棒ではなく、大人になり切れなず、全てを見失いかけていた文学青年であること。


ルパンはクラリスの心を盗んで去りました。
店長は一度は奪った少女の心をそっと返したのです。
ここが、この漫画が最高だな、と思った点です。


以下本文から引用します。
最後の「デート」からの帰りの車中での会話。

「...今日のこと、俺 きっと一生忘れないんだろうな」
「あたしも... あたしも忘れません!」
「え? いや~ 橘さんは忘れるよ~」
「忘れません! 絶対絶対忘れませんッ!!」
「いいんだよ。橘さんは忘れたっていいんだ。」

最高のシーンでした。
アニメはまだ見ていないのですが、この場面までやったのでしょうか。

少女のために、自分ができること。
それは、光の向こうへ助走をつけられるようにそっと心を押してあげること。
そしてその未来には自分との記憶は必要ない。
忘れてくれ、ではなく忘れたっていいんだ、という言い回しがなんとも言えない優しさを感じさせます。
少女の恋心を優しく返してあげることで、それはよりよい形で少女の心に残り、未来へ歩を進める力へと変わったのです。


他にキたのは、店長が「君にもあるんじゃないのか? 待たせたままの... 季節の続きが」とあきらに問いかけるシーン。

君には、じゃなくて、君にも、ですよ。

カリオストロのラストシーン、クラリスと分かれた後にルパンが車内で見せた物思いにふけった表情を思い返していただければお分かりいただけると思いますが、ルパンはあの一連の騒動で何をも手にすることはできませんでした。
不二子にちょっかいをかけるため冒頭でいらないと捨てた偽札を作るための原版を前に明るく振舞ってみたり、銭形と追いかけっこをしたり。
自身を興奮させてくれる何かを探すため、無為な日常を紛らわせるため、あてもなく世界をさまよう根無し草。

しかし店長は小説に対する情熱を、過去と現在の自分が断絶された存在ではなく地続きであるという事実を、主人公によって取り戻していました。
雨宿りをするスペースを少女に与えていたはずの自分が逆に与えられていた。
これが盗むことしかできなかったルパンと、与えることができた店長との違いだったのではないかと思います。


最終話の部分も、雑誌掲載時には手紙は読めずにいる、という部分が手紙は読まずにいる、と変更が成されていたところも良かったです。
読めずに、だとどこか後ろ髪をひかれている感じがありますが、読まずに、だと自分の意志で読んでおらず、吹っ切れている感じがより強く出ていると思います。

最後のプレゼントが雨傘じゃなくて日傘な所とか、実は同世代でもどこかで接点があったんじゃないかと思わせる想像のシーンとか、とにかく最高な1冊でした。


この漫画はきっと今後も繰り返し読めるだろうな、と思います。
10巻前後で間延びせずきちっと完結するマンガって最高ですよね。
寄生獣とかトライガンとかヨコハマ買い出し紀行とか。
そういえばルパンといえば、実写版で主演の大泉洋カリオストロの銭形の物まねが上手だった気がします。
いよいよ思考がとりとめもなくなってきたので、もう寝ることにします。


明日も頑張って働きます。