壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

フジロック2018 回顧録 前夜祭編(1)

もうフジロックエレカシを聞いて1週間経ったなんて俄かには信じがたい。
与えられた喜びは消えるのも早いといいますが、たった数日働いただけでいつもの死んだような顔に戻ってしまうのは流石にまずい。
何とかフジロックの幸せな記憶を胸に長くつらい冬を越さねばならないのに、数日でこの体たらくでは先が思いやられます。
向こう半年の自分のため、幸せだったあの日々をいつでも思い出せるように、記憶を文字に起こしていこうと思います。


フジロックが始まる週の月曜日、朝起きると私は風邪をひいていました。
4泊5日の楽園を前に仕事を残すわけにはいかず無理やり出社(熱は無かったので)、無理やり仕事を片付けましたが体調は悪化の一途。
やむなく火、水と病欠することになりました。

病院に行くと、熱もなく風邪ではなさそういう診断で咳止めをもらって帰宅。後は寝るしかありません。
こんなに休んだら首になるんじゃないかという不安1割と、フジロックの前に体調を崩すなんてという絶望9割を抱えてベッドに横たわり、栄養ドリンクをがぶ飲みしていました。

木曜の朝、相変わらず咳は止まらずあまり体調が良くなっているようには感じませんでした。
この状態で、ただでさえ体力を消耗し、さらに台風直撃が予想されるフジロックに行くのは文字通り自殺行為に思えました。
普通に考えれば前夜祭くらいはやめるのが賢明な判断だと思うのですが、それだけはできませんでした。

なぜなら鮎の塩焼きとジンギスカン丼を食べビールを飲み、苗場音頭を踊って花火を見ることが大げさではなく私の夏の全てだからです。


重い体を引きずって早めに出社。案の定、火水の2日で仕事はがっつり貯まっておりました。
午後半休の予定でしたが流石にそれは無理で、飯も食わず黙々と仕事を処理。2時過ぎに会社を後にし、思い荷物を抱え駅へ直行。

越後湯沢行きの電車内では少しでも体力を回復すべく睡眠に専念。
車内にはちらほらお仲間と思われる方々の姿がありました。

4時過ぎ、越後湯沢駅到着。シャトルバス乗り場にはすでに長蛇の列が。
フジロックの空気を吸うことによる精神的昂ぶりで体調が回復するのでは、という淡い期待がありましたが体は重いまま。
ああ、本当に体調が悪いのか、と暗澹たる気持ちで30分待ったバスに乗り込みました。



ただ、なぜこんな体調で強行出発したかというと、今年は1つの勝算があったからです。
それは宿。
昨年のテントとは違い、雨風を防ぎ風呂に入りやすく固い床で寝られるペンションを予約していたので、最悪ここで寝てれば他の人に迷惑をかけずになんとかなるのでは、という思いがありました。
撤退の判断だけは潔くして、今の状態で楽しめる範囲で今年のフジロックを楽しもうと決め、バスを降りました。

青空が広がる苗場スキー場。
気温も下に比べればずいぶん涼しく感じました。

短い夏が始まるな、と咳でゴホゴホ言いながら色とりどりのテントで飾られた山々を眺めていました。


予約していた宿は会場から徒歩10分ほど。
一抹の不安としては、少しでもお金をケチるために「訳アリ:窓なし」部屋を選んでいることが少し気がかり。

確かに換気は難しそうだけど、毎年夜は冷えるから蒸し風呂にはならないだろうし、台風が近づいている今、むしろ窓が無い方がうるさくなくゆっくり眠れるのでは、とプラス思考を維持しながら坂を上り、ようやく宿にたどり着きました。
鍵をもらい、部屋のある4階まで肩で息をしながら階段を上り、ドアをあけ。


そこには「独房」としか形容しようのない部屋がありました。



ここまでで楽しい思い出は一つもないみたいですね。
まだ前夜祭すら始まっていませんが、悲しくなってきたので続きは明日にします。