昨年末、クリスマスプレゼントのように届いた忘れらんねえよの新譜「週刊青春」を繰り返し聴いている。そしてそれ以上に、受注生産版に付属する冊子「週刊青春」を繰り返し読んでいる。
結論から言うと、この本は死ぬまで私の本棚に入る大切な一冊となった。
冊子の中核である自伝小説「ばかもののすべて」は、恍惚と不安に揺れ動く青年の痛々しく、しかし青春としか呼びようのない過ぎ去った日々を描き切っている。
得られた成功や輝かしい瞬間はすぐに柴田さんの中から消え失せ、残るのはハードルを更に上げた成功への渇望と上手くいかなかった事への失望のみ。
女の子と上手く話さなければ、ドラムが正確でなければ、もっと売れなければ、思い描く「ロックスター」にならねば。
こうでなければいけない、という呪いに縛られ、大切なものを失っていく姿を見たくなくて、ページをめくる手は次第に重くなっていく。
「バンドマンが夢の中にいられる時間は短い」という一文がどうしようもなく切ない。
好きな子に下に見られていると勝手に思い込み、心の中で毒づく姿がつらい。
表現という正義の名の下にメンバーに罵詈雑言をあびせる姿は正視に耐えない。
自分が素晴らしいと信じる音楽を皆に届けたい、という軸は一切ブレていないはずなのに、その伝達が上手くいかず、空回り、傷付け合い、別れを繰り返すのが悲しい。
ステージからは、良くも悪くも遠くの景色が見える。最前列で熱狂するファンではなく、奥の方の通路を通り過ぎていく人ばかり目についてしまうのだろう。
小説の最後は、相棒とも言うべきベースの梅津さんの脱退ライブのステージに立つ瞬間で終わる。
しかし、ここでエンドロールは流れない。忘れらんねえよは今日もロックバンドとして活動しており、その事実だけで全ての過去を肯定しうる。これまでも青春だったし、これからもきっと青春なのだ、忘れらんねえよは。
本を読みながら、一度忘れらんねえよを嫌いになったことを思い出した。確か「童貞偽装」の時期。文字にすると本当にどうしようもない偽装だけど。
当時感じたのは、そんなことで嘘をつくのか、という落胆だった。
まあバンドをやっていて、しかもそれが売れているバンドならモテないということは考えづらいが、結成当初から童貞を「売り」にしていた忘れらんねえよにとって、それは表現の根幹の一つだと思っていた。
異性から相手にされない、親しい関係を築くことができないイコール人間的欠陥、という負い目を抱えていた当時の自分にとって、忘れらんねえよがそれをネタとして扱ったのは正直ショックだった。
考えてみれば電通上がりのバンドマン、結局マーケティングで作り上げた(どんなマーケティングだ、とも思うが)キャラ設定だったのか、と。
まあアイドルでもボッチアピールをしているのを時折見かけるし、それに騙される人間は一定数いて、私もそれに当てはまったというだけなのだけれど。
何より悲しかったのは、柴田さん自身が憎んでいるであろうスクールカーストでいう所の1軍の一番イヤな所、相手を傷つけるだけの雑なイジリを真似したように見えたことだった。
結局おまえもそっち側か。
しかし今回の小説中で、自分で童貞偽装を企画しておきながら苦しみ、ファンの反応にダメージを受ける部分を読んで吹き出してしまい、当時のことを一瞬で許せてしまった(上から目線で申し訳ないが)。割り切れない、不器用、そして挙げ句の果ての明後日の方向のプロモーション。ダメな所がいいとまでは思わないが、他人事とは思えない人間臭さは、忘れらんねえよから離れることができない大きな要因の一つだ。
ただ、これからアルバムが何十万枚売れても、東京ドームでワンマンをすることができても、柴田さんの心は晴れないような気がする。アルバム曲「なつみ」のような、彼が心から愛する女性が彼を受け入れ、側にいてくれることでしか、柴田さんは自分を「ロックスター」だと信じることができないのではないか。
私はこれまで忘れらんねえよに沢山楽しい時間をもらった。大きなお世話を承知で、柴田さんに幸せになって欲しい、と切に願っている。そしてその幸せの絶頂で生まれた曲や、幸せな日々の中から捻り出してきたそんな事?と思うようなどうしようもない不平不満をベースにした曲が入ったアルバムを聞くことができればそれ以上の喜びはない。それまではこの最高のアルバムを繰り返し聞こうと思う。
あと本の中で一番好きなフレーズは、アルバムレビューでの「写真には映らない柴田の美しさ」という一節です。