壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

田中ヤコブ「おさきにどうぞ」

 カーブの続く坂道を登っている。自車は法定速度を超えるか超えないかくらいなため、バックミラーには苛立ちながら先を急ぐ後続車が映る。

 詰め寄られることへの恐怖、もっとスピードを出さねばならないのか、という強迫観念に囚われ、体が少し強張る。

 やがて追い越し可能な二車線へと道は開け、即座に左車線に寄る。後続車は更に速度を上げ、あっという間に走り去り視界の外へ。心は静けさを取り戻し、風に揺れる木々の葉の音が聞こえてくる。

 自由を手にした開放感と、自分でそう決めたにも関わらず、誰かに追い越されたことに対して募る焦燥感。

 これでよかったのだろうか。そんな気持ちがない交ぜになったまま、また次のカーブに差し掛かる。過ぎて行く季節に置いていかれそうになりながら。

 田中ヤコブの新譜「おさきにどうぞ」を聴きながら、そんなことを考えていた。

 

 歌詞カードをじっくり読みながら、ある日は12弦ギターやコーラスのメロディを追いかけながら。また別の日には何も考えず曲の中を漂いながら。September recordで貰ったzineをお供に、今日もこのアルバムを聴いており、その感想などを書き散らすことにする。

 

 「ミミコ、味になる」は、これがライブの1曲目だったら幸せだろうな、と感じる、幕開けにふさわしい曲。全く大丈夫でない世界で歌われる「大丈夫さ」という言葉が力強く響く。無責任であること、それがロックの重要な点だと、最近ひしひしと感じる。

 

 2曲目「BIKE」のサビ、歌メロと並んで鳴るギターが素晴らしいし、またこのサビが曲中1回しか来ないのもまた良い。スカートの「駆ける」もそうだったが、同じ場所には戻れない、という切なさと潔さを合わせ持つ高貴な曲構造であるように感じる。

 曲中に出てくる、錆びてしまったオルゴールのメロディは、9曲目の「どうぞおさきに」だったりするのだろうか、などと妄想しながら、この曲を繰り返してしまうため、なかなかアルバムの先に進めない。

 視界が一気に開けるようなアウトロで、派手なアクションでギターを弾き倒すヤコブさんの姿が目に浮かぶ。その動きとは少しギャップのある、そこまで爆音とは言えないギターの音量も。

 

 引き続きギター引き倒しで始まる「cheap holic」。個人的には、「僕達の夏は幻」の歌詞の後のギターが、theピーズ感があってグッと来た。マーシーの「夏が来て僕達」という名曲があったな、と思考があちこちに飛ぶ。

 

 「Learned Helplessness」は、歌詞の行き場のなさ、メロディ、静かなギターの音色、どこをとっても好みど真ん中の曲。2回目の「窓の外に風」の部分で「ああ」と繋ぎが入るのがフェチ心をくすぐられる。

 

 11曲目の「TOIVONEN」は、ギターに始まり、徐々に鍵盤とベースで彩られて行く。曲終わりをフェードアウトにすれば、立派にアルバムのトリを飾る、エンドロールにふさわしい曲に感じるが、そうはならない。ブツッと途切れ、余韻に浸る間もなく「小舟」が始まる。

 ギターとコーラス、3分にも満たない中に詰め込まれたグッドメロディ。アルバムを総括するような音像の曲。

 「傘をさした方が早そうだけど」の箇所で、一瞬だけせわしなくカッティングされるギターが愛おしい。

 サブスクで聴いていた時は、歌詞の最後は「小舟に揺られて 何処へ向かおうか」という、新たな旅立ちを示して締め括られるアルバムだと思っていた。

 しかしCDを買い、歌詞カードを見てみると、正しい歌詞は「何処へ向かおうが」であり、投げやりな感触がプラスされ個人的にとても嬉しくなった。何処へ行ったって同じさ、という捨て鉢感もあるし、だからこそ何処へでも行けるという希望も感じられる。更に言ってしまえば、どこに行こうが行くまいが、どちらでもいいのだろう。

 めんどくさい、が最優先。それでいいじゃないか、という気分にさせてくれる。

 

 ここまで卑怯がのさばり、それが可視化された世界で、最早なあなあで済ませられる事柄などないように思われる。権力側の人間ならともかく、私が為政者の気持ちを汲むべき理由などない。真っ先に搾取され、捨てられる側の人間だ。

 気づけば最低限のルールすら反故にされ、日々狂った記者会見が無批判に垂れ流される。

 これだけ不正や卑怯がやったもん勝ちな状況がはびこれば、反動として、潔癖すぎるほどの正しさを求めたくなる気持ちも分からないでもない(どうしてその矛先が、卑怯の総本山ではなく、知らない人間の揚げ足取りに向けられるのか)。

 

 ただ、ロックンロールにまで「正解」を求める世界にはなって欲しくない、とも強く思う。メロディに乗ってさえすれば良い(なんだったら乗ってなくても)、という言葉の「軽さ」を奪わないで欲しい。政治的なステートメントから、恋愛に浮かれる気持ちまで同一に内包するのが音楽であり、それは時代やニューノーマルなんて言葉に絡め取られていいものではないのだ。

 

 取り留めなくなってきたが、田中ヤコブ「おさきにどうぞ」は、重力や「答え」に囚われない、軽やかな言葉とメロディを纏った、素晴らしいアルバムだ、ということを言いたかっただけだ。来年のアナログ発売も決まり、楽しみはまだまだ続く。