壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

石井恵梨子「僕等はまだ美しい夢を見てる ロストエイジ20年史」備忘録

 書籍を購入してから早一月以上。本当は、読後の感動に任せてすぐ備忘録を残してしまいたかったが、どうにも分かったような言葉ばかり浮かぶ。何回も本を読み直し、レコードを聴き直ししているうちに時間ばかり過ぎてしまった。

 

 本書は、これまでの膨大なインタビューを中心に構築されていると思われるが、メンバーの発言としてカギカッコがつけられている部分は少ない。筆者による時代背景の説明と共に、大半が地の文として構成されている。

 最後の章で、ロストエイジは「距離の近い神様」と形容されるが、この構成はバンドの発言が「御神託」にならないようにするためではないか、と感じた。

 これはバンド成功の秘訣、といったビジネス書やハウツー本ではない。バンドの浮き沈みをエモーショナル一辺倒に描写したり、これこそが正解であると必要以上に崇めるようなモノでもない。

 直接会って話す、という、同じ時間を生きた人にしか出来ない記録。それを残し、会ったこともない誰かに伝えるため、丁寧に編まれた本。バンドに対する愛と確信、少しの祈りが込められた、ボトルメッセージのようだ。

 私は本書を読むまで、バンド名が小文字から大文字に途中で変わっていた、ということを知らなかったレベルのファンなのだが、タイトルの「ロストエイジ」という表記にも、バンドの歴史すべてを分け隔てなく記述する、という意思が込められているように感じる。事実、本書ではバンドの歴史どころか、バンドを取り巻いた社会背景、メンバーが生まれ育った奈良の桜井市、果ては奈良の歴史まで語られている。

 

 伊坂幸太郎の小説「チルドレン」に、「黄金時代が現代であったためしはない」という記述があった。ロック百花繚乱の時代が過ぎ、確かなロールモデルが失われつつあった2000年台初頭にデビューしたバンド、ロストエイジ

 メジャーデビューして成功するという、ある種当たり前の夢を持っていたバンド。それがセールスやメンバーの不仲など全ての壁にぶつかり、「当たり前」とされている物事を疑い、噛みつき、闘いながら、手探りで進んでいく。

 その過程で様々な物をバンドは手放していく。売れるという夢に始まり、響きを重視した歌詞や、轟音オルタナバンドという培ってきた看板。レコード会社、雑誌に掲載されるインタビュー(と宣伝)、流通、果ては非日常でありたい、というロックバンド像まで。

 その先に残った、掴んだ「夢」とはなにか。本書を乱暴にまとめるとこうなるだろうか。

 また、ロストエイジを取り巻く現状として、村社会という言葉が使われる。村社会と言うとどうしても閉鎖的、排他的な印象を受けるが、良質な音楽という、大海原へ流れていく川の源流がある村だ。マニアだけがほくそ笑むような類の音楽ではなく、排他的コミュニティとは一線を画するものである。

 一番好きな箇所は、最終章でメンバー3人それぞれの1日が描写される3ページ。しっかりとした生活があって、そこから音楽が生まれる。それは当たり前のようで、当たり前ではないことのように感じられた。

 

 私が最初にロストエイジを知った曲は「surrender」だった。ガラケーで聴いた記憶がある。このバンドはいいぞ、と強く感じたが、それきりに終わっていた。当時、私の生活圏内であった徳島には、彼らのCDは置いていなかった。

 現在も、彼らのCD全てを持っている訳ではない。直近2作、ライブ盤と「LOSTAGE」のLPくらい。何故なら、四畳半の部屋に引っ越さなければならなくなった際、置き場所に困り泣く泣く大半のCDを処分したためだ。まあネットとかで聴けるだろうし、という見通しは甘かった。彼らの楽曲はサブスク配信されていない。

 

 セールスに対しての価値観の移り変わりも興味深い。今では5000枚も売れるなんてすごい、という感覚だが、2004年だとショックを受けるほど少ない枚数だったらしい(私の好きなバンドは、スピッツを別として大体1万枚も売れていなかったので、あの頃の感覚をよく覚えていない)。

 数字と言えば、イアンマッケイのエピソード。ネットでインタビューを読んだ時は7インチのジャケットを千枚手作り、という表記だった記憶があるが、本書では1万枚に増えており、凄すぎて笑ってしまった。

 

 最後まで読むと、音源を聴いてまた最初から読み返したくなる本である。まず、手放してしまったCDを集め直すところから始めようか、と思う。レコードが見つかればより嬉しいが。