壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

小山田氏関連の個人的総括

 ここ数日、色々な人の書いた文章やネットにアップされたQJの原文を読む日が続いた。今朝起きると、編集担当が書いた記事も見つけられた。様々な意見を見るたびに自分がぐらついているような気がするので、このあたりで自分の考え、そして反省を書いておかなくては、と思う。

 今回この問題を通して、初めて面識のない人にTwitterで話しかける、という愚行に手を出してしまった。他人から(好意的でない)意見を浴びせられるのは不愉快だったであろうにも関わらず、対応してくださった方に感謝したい。

 

 まず、自分とフリッパーズ、そしてQJの出会いから思い出さなければならない。

 高校生になった私は、ブルーハーツ一辺倒であった中学時代から背伸びをするべく新たに熱中できる音楽を探していた。青春パンクブームで生み出されたバンドに辟易し、その元祖と祭り上げられるブルーハーツにも疑問が生まれてしまった時期だった(ハイロウズは変わらず大好きだった)。

 青春、ポジティブという概念から離れた音楽を探した結果ART-SCHOOLsyrup16gGRAPEVINEに傾倒し(未だにずっと聴いている)、そして人生でひとつだけ選ぶならこれだ、というtheピーズに出会った。内省的な歌詞と隠しきれないポップさ、という好みはここで構成され、それは今も変わっていない。

 フリッパーズギターの「恋とマシンガン」を初めて聴いたのはこの頃だった。スペースシャワーTVで流れていた、名曲PV特集のようなプログラムだった。その後地元の古本屋で見つけたQJを読み、こいつ(小山田圭吾氏)の音楽は一生聴かないと決めて今日にいたる、と記憶していた。ここで明らかに意図的に忘れていることがある、と気が付いた。どうして私はQJなんぞを読んだのか?

 当時私は「ROCKIN'ON JAPAN」と「音楽と人」を愛読しており、またそれ以外の音楽雑誌をほとんど知らなかった。QJが田舎の本屋に置かれていた記憶はなく、自分から探さない限りは出会いようのない雑誌だったはず。

 今回の問題の発端となったブログ記事は2006年に書かれたと知り、高校生の私はこの記事をまず読んだのだ、ということが分かった。そして、この記事にたどり着くにはフリッパーズへのネガティブな検索ワードなしには難しい。そして先に述べた「恋とマシンガン」を聴いた時、あまり好みの音楽だとは感じていなかった。自分の音楽趣味を肯定するためにフリッパーズを貶めうる情報を探していた、と認めざるを得ない。

 その後1次文献を探すという最低限のリテラシーはあったようだが、古本屋で該当の記事を見つけた私は暗い喜びに支配されていただろう。小中学を通して、イジメの被害/加害の比率が明らかに被害に寄っていたという個人的事情もあった(これも思い返してみれば、誰かに危害を加えたことはないなどと口が裂けても言えないが)。義憤にかられ、こんな人間が作った音楽なんて聴かないと決めた、という要素もゼロではない。しかし、ほら、こんな人間が作った音楽だから気に入らなかったのだ、自分は間違っていない、という自己満足のためにQJを探し読んだのはまず間違いない。今回自分自身がこの問題を考えるためには、まずここから始めなくてはならなかったが、あたかも正義は我に有りという態度をとってしまったのが最も反省しなければならない点だ。

 

 その後、全てを網羅できていたわけではないが、小山田氏が関わるプロジェクトには極力、意図的に距離を置いてきた。たまにイジメの件がネット上でぶり返されてもまたかとしか思っておらず、今回も最初はそうだった。感情が揺れ動かされたきっかけは、Twitterでフォローしているドリーミー刑事(以下D.D氏と表記)というライターの方の投稿がタイムラインに流れてきたことだった。その内容は、小山田氏のイジメ問題は成人前のこと、かつその告白を社会が面白がる時代だった事を考慮すべき、という内容であった。

 D.D氏の日頃からのツイートや記事から、思慮の深い信頼のおける方だと(勝手に)考えており、このツイートは正直ショックだった。イジメがなかった時代はないだろうが、イジメ告白が許容される時代があったということがまず理解できず(この後、鬼畜系と呼ばれる流れがあったことを、全ては納得はできないものの学んだ)、また成人後に恥部をひけらかした事こそが問題なのでは、と考えたからだ。また、ナンバーガールの時は毅然とした意思表明をしたあなたがなぜ、という思いも強かった。

 ここで反省しなければならないのは、D.D氏の発言を、小山田氏を擁護する/しないの二元論で捉えてしまったこと。また面識もなく、考え全てをネット上に公開するはずもない他人に対して勝手なイメージを構築し、それが崩れたことに対して勝手に憤りを感じたことだ。いずれも感情に任せた浅はかな思慮から来たものだ。第一、この問題に罪があるとしてもそれはD.D氏に課せられるものではなく、私は正義の使者でもない。

 その日の午後は仕事中も上の空。家に帰ってもどうしても感情が収まらず、ついにD.D氏にDMを送るに至った。初対面の人間にも氏は丁寧に対応して下さった(内容はD.D氏のブログに詳しいため割愛する)。

 出版社側の責任、という視点はこの時点で全く私の中になかった。確かにそれを公開することを良しとした人間がいたからこその誌面であり、また誌面の内容を鵜呑みにする、という危うさも考慮すべきだった。

 

 後日、小山田氏は謝罪文をネット上に公開し、更に後日オリンピックの役職を辞任した。私個人はオリンピック開催そのものに否定的であるため、誰が参加しても最早大差ないと考えていたが、世間の批判は大きかったようだ。これまでコメントを発して来ず、今回が初めての声明という点で、必要にかられやむを得ず出したのだろうと訝った見方はできるし、そうだろうと思う。ただ、小山田氏が謝らなければならないとしたら、氏がイジメに参加し、その事実が何回も世に知れ渡るという二次被害を受けうる被害者のみであろうし、私たちに謝れというのもおかしな話である。

 私はこの日、初めてコーネリアスの音楽をきちんと聴いた。「THE FIRST QUESTION AWARD」の無邪気に捻れた歯が溶ける程のポップさは最高で、「Mellow Waves」は先のアルバムからどうやってたどり着いたのか想像も付かない程の落ち着きを持った音楽だった。いい曲を作るミュージシャンなのだろうなとは思っていたが、やはり聴いてみるととんでもなく良かった。近くのレコード屋で探したが見つからず、代わりにMETAFIVEのミニアルバムとヘッド博士のZINEを買って帰った。

 

 ここから私個人の意識は、小山田氏の問題からD.D氏の発言にシフトしてしまう。D.D氏の考えは理解できたものの、しっくり来ない部分もあったからだ。特にがっかりしたのは、「何も知らない人に断罪されるほど小山田氏は薄っぺらい人生を歩んでいない、彼を見てきたファンだから分かる」という文意のツイートにいいねをしていたことだ。

 外野は黙ってろ、と言い出したら終わりではないか。小山田氏を断罪する権利は誰しも持ち得ないことは間違いない。恣意的にまとめられたブログのみを情報源に発言をする人や、小山田氏を社会的死に導こうとする意思を持った発言をするネット上の著名人を山程見て消耗していることは想像に難くない。他に非難すべき巨悪が山程いるというのも同意見だ。ただ、ファンだから分かる、というのは納得いかない。ものすごく意地の悪いことを言わせてもらえば、ファンが許し続けたから外部に広まるまでこの問題がくすぶり続けたのではないか。もちろん小山田氏に発言を求めることなど1ファンにはできないし、ファンの責任などあろうはずもないが…

 我々が有している主観が入らない情報は、小山田氏が25年前に発言したという事実と、それ以降沈黙を貫いたこと、今回初めて声明を出したこと、そして謝罪の意思を明確にしたことのみ。まず俎上に載せていいのはその要素だけではないか。あの謝罪文を見て、これは紋切り型で謝罪の意思がないと判断するのがおかしいのと同様に、音楽から真意を汲み取れる、というのも多分にファクターのかかった思い込みであろう、と思う。

 ここでも反省しなければならないことがある。上記の感情はD.D氏に対するものであり、ツイートした方には全く関係ないにも関わらず、その方に対しリプライを送ってしまったことだ。本当に申し訳なく思うし、それでもなお対応して下さったことは感謝する他ない。

 

 ここまでの大半は、昨日の午前中に書いた文章である。その午後、自分自身を省みなくてはならない事態があり、1日を自問自答に費やした。その結果、自分がQJに行き着いた理由を思い出した。そして上に書いたD.D氏に対して持った感情は、正義を傘にきた思い上がりによるものだったと反省する次第である。反省反省と繰り返してばかりで言葉が軽くなるが、本当に反省しなければならない。自戒として、昨日書いた部分は消さずに残しておく。

 

 リスナーが音楽を聴いて、それを自分の中に取り込み、深くまで理解したと感じることの何が悪いのか。なぜ自分の愛する対象が謂れなき(部分を有する)批判に晒された時に、全てにおいて理路整然としていなければならないのか。「いいね」がその人の考えそのものだと思うこともおかしいし、そもそも誰がどんな考えを持とうが自由である。今回の思い上がりは、様々な人に許されてこれまで生きてきた、ということを忘れていたことに尽きると感じる。

 そして、小山田氏がオリンピックにとどまらず音楽活動全てを奪われ始めているという現状から、これまで行われてきた事は正義とは遠い排斥運動であった、と結論づける他ない。そしてまず他人ではなく自分の中で総括せねば始まらないと考え、この日記を記す。