壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

台風クラブ/家主 4/29 京都磔磔 備忘録

 雨に濡れ、体を芯から冷やす靴を履いたまま見たライブから早2週間が経った。あの日も精神は本調子ではなかったが、楽しかった事、しんどかった事を忘れきってしまう前に記録しておこうと思う。

 台風クラブと家主の、それも磔磔での対バン。昨年末にはチケットと宿を早々に確保し、社会情勢がどうなっていてもこの日だけは必ず行くと心に決めていた。本来であればこのライブの予定を心の支えとし、指折り数えながら日々を過ごす予定だった。

 年が明け、精神状態は悪化の一途をたどる。仕事に行って帰ってくるのが精一杯の生活で、とても音楽など聴く気にならなかった。何かが劇的に変わることを期待し4月には2つのライブに足を運んだが事態は好転せず。2つ目のライブに至ってはある程度換気がありそうな場所にも関わらず、人で埋まっていくフロアを目にして開演前にパニック発作がぶりかえしそうになり、早々に会場を後にせざるを得なかった。

 磔磔のライブも楽しむことはできないのではないかという不安が募り、それにより状態は更に悪くなる。今回は妻との京都旅行でもあったので、とりあえず京都には行き、無理そうであればライブは行かないことに決めて何とか出発した。

 GW初日、京都は強い雨が降っていた。宿までの10分程で靴は取り返しのつかないレベルで濡れる。この日は妻と別行動で、ライブまではレコード屋巡りでもしようかと思っていたがとてもそんな気分にはならない。どうやって時間を潰そうか辛い気持ちになったが、結局私は6軒の店を回り、探していたおとぎ話の「ISLAY」を見つけることができた。レコードだけは濡らさないよう、大事に鞄を抱えながら雨の京都を練り歩いた。

 開場1時間程前に、磔磔前に到着。昨年放送されたドキュメンタリーで初めて見たライブハウスは、思っていた以上に入り組んだ街の中にあった。ドア前に立つと、鼓動がだんだん早くなってくるのが分かった。期待を抑えきれず胸が高まっているのか、不安による発作の前兆なのかは自分ではもう判断できなかった。

 雨は徐々に止み始めていたが、靴は乾くそぶりも見せない。近くの喫茶店に入って休むことにした。隠れ家のような趣の静かなお店。しばし時間を忘れてゆっくりすることができた。

 開場10分前に磔磔に戻る。既に多くの人が待っていた。雨は止んだが、気温はどんどん下がり寒い。マスクをしているため、手に息を吹きかけて温めることすらままならない。予定の17時になってもまだ中には入れず。頼むから室内に入れてくれ、と懇願するような気分だった。

 整理番号が早目だったため、ステージのベース側、かなり前の方に陣取れた。台風クラブを近くで見たいというのももちろんだが、続々集まる人が視界に入ることに耐えられそうもない、という理由もあった。

 顔馴染みのグループも多いようで、楽しそうな話し声が脳に直接ささる。磔磔の足元にはかなり狭い感覚で目貼りが貼ってあったが、もはやそのスペースすら自分には残されていないような気分になる。目を閉じ、開演をじっと待った。

 18時過ぎ、お馴染みのSEと共に台風クラブがステージに上がる。バスドラが溶けたような形に変わってから初めて見るライブだ。一番記憶に残っているのが、京都のバンドです、という石塚さんの自己紹介。これまでは「京都から来た台風クラブです」というセリフしか聞いたことがなかったため、彼らのホームグラウンドに来れたのだ、という感慨があった。

 来るべき2ndアルバムにむけ、新曲が多く演奏された。耳をすますが、歌詞は聞き取れたり聞き取れなかったり。

 私は伊奈さんのドラムが特に好きで、ライブ中大半の時間はドラムを睨むように見ることに費やされる。伊奈さんは、時に曲のバランスなどお構いなしに、狂ったように叩く。その横で山本さんが飄々と6弦ベースを鳴らすが、私の立っていた場所も影響してか、その2つの音がピタッと重なるようには中々聞こえなかった。間奏に入り、音源より荒々しいギターが入ると、それはより顕著に感じられた(あくまで私の場所からは、である)。バンドの音が一つになる、というよく聞く表現とは全く違う、無理に例えるなら、海岸で3つの大きな波がそれぞれ岩にぶつかって砕けるようなイメージ。

 家主の演奏では、ドラムとベースがピタッと重なる心地よさを何回も感じた。さらにリズムギターが乗り、その上でヤコブさんの大きな動きの、その動きにしては小さめの音のギターソロが自由に走り回る。ただその自由さは、あくまで曲を壊さない範囲でのもの。家主のステージを見ると、楽器ができるできないに関わらず、バンドって楽しそうだ、バンドをやりたいと思わせられる。例えが正しいとは全く思えないが、昔大学の軽音学部の新歓ライブで、先輩がオアシスを演奏していた姿を見た気持ちに近い。

 そのオアシスのリブフォーエバーよろしくお馴染みのドラムで始まる「なななのか」も演奏した台風クラブ。考えすぎかつ私の精神状態が影響しているのは百も承知だが、台風クラブの演奏にはカラッとした喜びはない。楽しいだけでは、いい音楽を演奏するだけではバンドが動かない、大きい音でまず自分自身の気持ちを高め、バンドを刺激しないとすぐダメになってしまう、という強迫観念に追われているような音であるように感じた。歌詞が持つ切迫感や焦燥感も、石塚さん個人のものではなく、バンド全体が抱えたものであるように思えた。

 「火の玉ロック」前のMCが、私の心にいたずらに響きすぎてしまっているだけかもしれない。終わりがあるのは当たり前のことだが、それをすっと受け止められる自信がなく、せっかくの演奏を心から楽しめなかったのは今振り返っても少し残念だ。

 家主のライブは、ずっと聞きたかった「茗荷谷」が早々に演奏され嬉しかったが、台風クラブの時より客席からの声が明らかに大きくなったことでバッドモードに転がり落ちた。ライブ前半は辛い、帰りたいという気持ちに支配されてしまったが、幸い後半になると少しずつ気持ちを持ち直すことができた。「近づく」は最後にスッと聞けるような曲ではない重さだったが、終演後にはそれすらも爽快感に変わっていた。

 ライブが終わり、磔磔の前で妻と落ちあう。家主の演奏は後ろの方で見ていたらしい。ドラムの人が一番「家主」ぽかった、という感想を聞き、無性に嬉しくなる。

 ライブ直後、今日を楽しめたのか中々判断出来なかったが、ここから離れたくない、帰りたくないという気持ちは確かなものだった。磔磔の周りをうろうろし、外でタバコを吸っていた伊奈さんと写真を撮ってもらう。その写真を見返すと、マスク越しにもわかるいい表情をしている私が写っていた。

 帰りに寄った磔磔近くのお店はどのメニューも美味しかった。また、翌朝はいつぶりか分からないほど食欲があった。ライブ効果が体に出ていたようだ。

 もちろん音楽は魔法や薬ではないので、あの日を境に元気になった、ということは残念ながらない。しかし、またライブに行きたいな、という気持ちになれたことがとても嬉しい。台風クラブの2ndアルバムはいつになるだろうか。次があることを信じ、それまで元気でいたいな、と思う。