壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

台風クラブ 3/25 京都ソクラテス 備忘録

備忘録と言っても既にセットリストや細かい諸々は覚えてないが、ライブ中極力雑念を持たぬよう努力し、結果とても良い時間を過ごせた、ということだけ書き記しておこうと思う。

開演前、ワクワク感とは少し違う緊張感に囚われながらエンドレスで流れる若かりしラフィンノーズのようなSEに身を揺らしていた。これまで台風クラブのライブでは新曲の歌詞を聞き取りたいとか全てを見落としたくないと気負い、その結果ライブ中に不要なことを考えて落ち込んでしまうことが多かった。今日はフジロックの苗場食堂の時のように、ただ音楽を楽しみたい、と別のベクトルで気負った状態だった。そういえばステージにはいつものダンボールではなく、台風クラブと書かれた新しいフラッグが掲げられていた。

目標は概ね達成できたと思う。ひっぱ叩かれるドラムやコードチェンジする指の動きを目の前で眺めることができ幸せだった。体を揺らし、時に目を瞑りながらやかましい音に浸った。「台風銀座」で体から勝手にワンツーの声が出るあの感じはいつ以来だろうか。幕間にステージで皆が楽しそうに煙草休憩をしている姿を眺めている時にいつもの孤独感、居場所のなさが一瞬よぎったが、私があこがれる人の仲間になれることはこれからもずっとないだろう、もうそれで構わないと今日は思うことができた。
久しぶりに「ダンスフロアのならず者」が聴きたかったな、とか多少の心残りはあるものの、今日が私にとって最後の台風クラブのライブになっても納得できる、何かにけりをつけられたような日になった。他のものに例える必要もないのだが、ピーズの武道館を見た後の気分に近かった。大切だったものを順繰りに手放していくような生活の中で、台風クラブとすれ違うことができて良かった。とろけたバスドラの形と、終演後もしばらくステージ上で倒れていた伊奈さんの姿を、ずっと覚えていたいな、と思う。

普段なら物販でレコードを買い、高いテンションを維持した勢いでメンバーの皆さんにサインをねだる所だが、今日は全ての感情を胸にしまったまま誰にも渡したくない、誰とも話したくない気分だったためすぐ会場を後にした。

京都の静かな、今にも雨が降りそうな夜は散歩にうってつけだった。熱を持った体がゆっくりと平熱に戻り、街の一部になっていく。前から行きたいな、と思っていた「深夜喫茶しんしんしん」まではまあまあ距離があることが分かったが、向かいにドキュメンタリーでメンバーと須藤さんが話し合いをしていた「きくた」もあることが判明したため、まずはそこを目指すことにした。

「きくた」は満員のお客で賑わっており、なんとかカウンターに一席分スペースを作っていただいた。お通しのポテサラ、おでん、豚キムチと塩鮭をつまみながらビールを飲む。どの料理もすぐ出て来て、どれも体に染み込んでくる美味しさだった。もちろんここでも一人なのだが、他のグループが楽しく飲んでいる中でも、孤独を孤独のままで置いておいてくれるような優しい雰囲気を持った店だった。また再訪したい。

小一時間後、河岸をかえ「深夜喫茶しんしんしん」へ。細い階段の奥にある(なんだかこの時点でワクワクした)扉の向こうはここも満員、カウンターの一席が空いているだけだった。入り口の上には坂本慎太郎と青葉市子のレコードが飾ってあった。京都大学が近いせいか若い人が多かった。職場、恋人、そして未来の話が飛び交う店内で、ライブ会場でもらった「台風の目」を読みながら、静かにコーヒーと抹茶のパウンドケーキで夜遊びを楽しんだ。机にあった自由帳に目が留まりページをめくる。自由帳の名の通り様々なイラストや、若人の瑞々しいと言ったら失礼な、しかし年寄から見れば眩しい恋の悩みなどが書き連ねられていた。眠れぬ夜、次の朝を手繰り寄せようとしながらカウンターでコーヒーカップを持つ知らない誰かに思いを馳せる。

ソクラテス、きくた、しんしんしん、どこも紫煙が薫っていた(薫る自体に煙が、の意味を持つので使い方間違ってるかも)。私は煙草を吸わないが、人が吸っている姿を見るのは好きだ。美味しそうに、気だるそうに、作業のように、思い出したように。皆それぞれの吸い方で吸い殻を積み上げていくのがなんだか愛おしい。

コートに染みた煙の匂いは小さい傘からはみ出しこぼれ落ちる雨で流されていくが、そこにあったことは確かだ。今日は本降りのようだが、なるべく気にせずどこかに出かけようと思う。そろそろ着替えて外に出ないと。

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