壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

スピッツとsyrup16g(1) 白と黒の闇の中から

2006年、2つのバンドがベストアルバムを2枚同時に発表しました。

3月25日発売のスピッツ「CYCLE HIT 1991-1997」「CYCLE HIT 1997-2005」、そして8月23日発売のsyrup16g「動脈」「静脈」。
方や2005年に最新、そして傑作アルバム「スーベニア」をリリースし迎えたバンド結成15年目の区切りとして生まれたベスト。
方や2004年に1stアルバム以前の曲で構成された「delayedead」を発表して以降、年に数本のライブ以外活動を止めたバンドから生み出された、まるで時間稼ぎのようなベスト。
いずれも同じ1枚16曲ずつ(スピッツはボーナスCD含め)収録のアルバムですが、当時高校生、17歳だった私はスピッツからは未来へ向けた「生」の躍動を、syrup16gからはそう遠くない「死」の予感を感じたことを覚えています。
以降スピッツは3年に一回のアルバムと全国をくまなく回るツアーという彼らの空の飛び方を会得し、今日まで安定飛行を行っています。
一方syrup16gはこの2年後の武道館公演を最後に解散。以降ボーカルの五十嵐隆は5年にわたる沈黙を続けました。

syrup16g解散は、THE HIGH-LOWSに続いて2回目の愛するバンドの喪失でした。
それ以降、私は行けるライブはスピッツも含めて可能な限り行くようになりました。
バンドはいつか死ぬ、という当たり前の事実を目の当たりにし、それはエバーグリーンの体現者であるスピッツさえ例外ではないという強い危機感を覚えたからです。
学生の頃は金銭的に限界がありましたが、年月を経て社会人になりある程度自由に使える額が増えるにつれ、参加するライブ数も増加の一途をたどりました。
五十嵐隆の、そしてsyrup16gの再始動以降その傾向はさらに顕著となり、この奇跡を二度と手放してなるものか、と行われたツアー及びイベントは全て見に行くというまるでアイドルの追っかけのような生活に私は突入していました。

そして私は昨年初めてのフジロックの参加を決め、寝ても覚めてもシガーロスのことばかり考える幸せな日々を過ごしていました。
そんな中、その前夜祭の1日前の東京であるライブが開催されることを知りました。
7月20日、スピッツ主催「新木場サンセット」、共演はUQiYO、米津玄師、赤い公園、そしてsyrup16g
鈍色の青春を辛うじて支える命綱であり、どんなに好きな音楽が増えても私の心から消えることは1度もなかったこの2バンドの邂逅は私にとって特別すぎました。
以降、フジロックに加えてこのライブを見るための休暇を確保すべく休日出勤に休日出勤を重ね、何とかこの日を無事に迎えることが出来ました。

この2つのバンドに共通しているキーワードは「引きこもり」なのではないかと勝手に思っています。
syrup16gは現実世界、アパートの部屋に引きこもって小さな窓から世界を眺めて生きるバンド。
そしてスピッツは空想世界に引きこもり、シャボンの壁で遮られた、きっとこちらとは繋がることのないであろう世界で生きるバンド。
ドアさえこじ開ければ外の世界と繋がる分、syrupのほうが健康的なのではないかとさえ感じられます。
住んでいる場所は全く違うように見えても、それは白と黒の色違いの闇の世界。
その手の届かなさが、この2つのバンドに魅かれ続ける理由の一つではないでしょうか。

そんなとりとめないことを考えながらたどり着いた会場である新木場スタジオコースト
掲示されたタイムテーブルには、大トリはもちろんスピッツでなのですが、その1番上に、世界で最もトップバッターが似合わないであろうバンドの名前がありました。

続きます。

Theピーズ 武道館残席考察

Theピーズの武道館もすでにひと月を切ったこの頃、
チケットぴあの予約ページで現在の発券状況を確認するのが日課になっています。
5/15現在予約できるのは南東2階席T列13番。
ここ数日はS列のままだったので徐々にチケットがはけなくなってきていますが、
ついに残り5列となりました(武道館2階席は立ち見を除けばX列まで)。

武道館の座席表を見てT-X列の座席数を数えると合計1430席。
ただ南は全部売り切れてるかもしれないので(一般発売以降、ぴあで2階席南スタンドの表記をあまり見ません)、
南を除くと1144席になるのでしょうか。

フラワーカンパニーズの武道館が満員9000人だったので、それから計算するとすでに8000近く売れていることになります。
ピーズのワンマンで8000人!!
もう十分すぎる人入りではないでしょうか。
しかしここまで来たならソールドアウトまで行ってほしい所。

Newシングルにベスト盤の発売、そして大相撲の懸賞旗とTheピーズのお祭りは仕上げに入っています。
この祭りに一人でも多くの人が参加してくれることを願っています。

しかし6/9に銀杏Boyzのライブが入っているのが惜しい。
銀杏がイケる人はピーズもイケると勝手に思っているのですが、
そのライブ会場である心斎橋BIG CATのキャパは850、しかもソールドアウト。
850人がこっちに来れる日程であれば・・・

back numberのライブを見てへこんだ話

 会社の同期から「たまにはちゃんとしたバンドを聞かないと」とback numberのライブに誘われました。
俺の好きなバンドがちゃんとしてないというのか、と毅然とした態度で反論しましたが(彼には以前お薦めを聞かれてsyrup16gTheピーズを貸しましたが、前者はメロディが暗い、後者は昭和くさいという理由でお気に召さなかったようです)議論は平行線。
 back numberはラブソングを歌うバンドで健康的で明るい人が聞くというイメージを持っており、私が真っ先に食わず嫌いするタイプのバンドでした。
いつもであればなんで金を払ってそんな軟弱(?)なバンドを見に行かないかんのだと声を荒げて人間関係を気まずいものにするのも辞さない構えですが、私も今年で28歳、自分の歪な価値観に固執しても先がないのは明白。
 そろそろ人の好きなバンドを受け入れる度量の広さを身に着けるべきと考え、お誘いをありがたく受けることにしました。

 4/29新潟朱鷺メッセ。私を含め独身3人衆でのライブ参加となりました。
 これはかなり悲惨な絵ずらではと危惧していましたが、会場に行ってみるとカップル含めもちろん女性のほうが多いですが、家族や男グループもかなりいる印象。
 売れているバンドは客層が広いんだな、ということを客席を見渡しながら実感しました。
 そして会場の大きさ。朱鷺メッセのキャパは9000人、武道館と同じくらいです。
 それが2デイズで即完、聞けばこの会場だけでなく現在行っているホールツアーどこも売り切れだそうです。
 愛するコレクターズの次の新潟公演のキャパは150人ですよ、納得いかない。
 一緒に行った二人にとっては意味不明であろう愚痴を言いながら開演を待っていました。

 ステージの大きなスクリーンに映像が流れだしライブはスタート。一曲目は「はなびら」という曲でした。
いきなり照明、スクリーンフル稼働。映像の向こうでバンドが演奏している姿はまるでシガーロスのよう。
度肝を抜かれました。売れているバンドは記念公演とかでない普通のツアーでこんな派手な演出をしているのか、と。

 その後も次々放たれるレーザー、大アップでメンバーを移すスクリーン、そして締めには宙を舞う銀テープ。

 back numberのファンが心底うらやましかったです。毎回こんなステージが見られるなんて。

 もちろんライブハウスはそこにしかない魔法がありますが、大きい会場でのライブはまた別の素晴らしさがあります。
 事実、3月のコレクターズ武道館公演は最初の映像は最高でしたし、照明も素敵でした。

 ここにいるファンはガラガラの会場でバンドが出てくるのを待つ気まずさや恐怖にはきっと縁がないのでしょう(back numberを初期から好きな人は違うかもしれませんが)。
 アルバムのセールスが振るわなくて次の契約はどうなるんだ、という心配もしなくていいでしょう。

 これまで好きなバンドが数多の苦難を乗り越えながら活動を続け、その日々の先に大舞台にたどり着く姿を夢見、そして心打たれてきました。
しかし、決してバンドが苦しんでいるのが好きなのではありません。願わくばずっと順風満帆で、思うような活動をしてほしいと思っているのです。
きっとback numberをはじめ売れているバンドには別の悩みや苦しみはあるでしょうが、おそらく生活苦による活動休止という未来はまずないでしょう。

 こんなに落ち込むのは、華々しい未来は描けない、何とか日々を生きて、その先にある何かしらの未来を信じるしかないと思いながら生きている私にとって大舞台で光を放つ「スーパースター」に自己を投影する術がないからなのでしょう。

 ライブが終わってからback numberのアルバムを聞き始めました。
 こういった普遍的な歌をいいと思える心を少しづつ育んでいこうと今は思っています。



 

4/8 OYZ NO YAON theピーズ

 日中降り続けていた小雨が止んだ曇天の夕暮れ、照明の中に浮かぶ3人のロックンローラーがロックンロールを演奏するのを見てきました。
 セットリストは以下の通り。

1.鉄道6号
2.ブラボー(新曲)
3.ドロ船
4.焼めし
5.実験4号
6.とどめをハデにくれ
7.ブリロー
8.しげき的な日々
9.エッチ
10.異国の扉(新曲)
11.生きのばし
En.グライダー

 会場にかけつけたコレクターズから武道館バトンを受け取ったTheピーズ
手作り感あふれるそのバトンにはユニオンジャックがつけられ、一気に高貴なものになっていました。

 大阪城野音で行われたOYX NO YAON,トリを飾るTheピーズは活動休止前夜のアルバムの一曲目、
投げやりになる気力さえ失った末に全てを受け止め生きていくと歌う「鉄道6号」でライブを始めました。
 とにかくいきなりウルウルきてしょうがなかったです。
武道館の1曲目、どの曲が来ても感慨深いでしょうが、これややっとハッピーとかだったら私はまず泣くでしょう。
ただ以前のライブで30周年はアビさんボーカルのデブジャージから始める、というMCをしていた記憶があります。
デブジャージだったらイントロの時点で笑ってしまうと思います。

荒吐磔磔には行けないので、この日がTheピーズ武道館前の最後のライブでした。
武道館が決まった時は、これが大きな一区切りになることで今までのピーズが終わってしまうのでは、という不安を持っていました。
でもこの日のライブを見ながらそんな気持ちは無くなっていました。
バカロックと称された初期の曲から歌詞に自分への呪いが込められ始めた中期の曲、そして復活後の名曲「生きのばし」そして「グライダー」。
全てのピーズの要素が最強のギター、ドラムそしてだみ声コーラスに乗っかって流れ続けた一時間弱のライブ。
こんな最高なライブが武道館で見れるのならそれだけでもう十分だな、と感じられるようになりました。

そもそもロックンロールバンドは未来も過去もなく、その瞬間瞬間で輝きを放つスプリンター。
「長く続けてほしい」という願いを持つこと自体が高望みなのかもしれません。

ただその「瞬間」が「永遠」とリンクしているのも間違いないと思っています。
Theピーズの手にあるのは怒髪天フラカンそしてコレクターズから渡された武道館バトンだけではありません。
ビートルズから脈々と連なる「ロックンロールバンド」のバトンも今Theピーズに手渡されたと思っています。

2003年はブルース生誕100周年だったそうです。ロックは間違いなくその系譜に連なっているはずであり(ブルースを内包していない音楽はロックンロールではないのではないでしょうか)、そう考えると114年目の現在にTheピーズがいます。
今は存在しない歌手やバンドが放った瞬間の輝きの積み重ねが現在であるならば、これはもう十分永遠といえる永さではないでしょうか。

兵庫さんがいう所のブリティッシュ・ビートとニューヨーク・パンクのもっとも誠実な継承者であるTheピーズ
6/9武道館はもう楽しみしか残っていません。



 

ロックバンド自分史(2) ハイロウズ解散

 2004年9月1日、ハイロウズ8枚目のオリジナルアルバム「Do!! The★MUSTANG」発表。
私がリアルタイムで聞くことが出来たハイロウズ最初で最後のアルバムです。
 このころの曲で一番好きなのは、アルバム未収録ですが、シングル「砂鉄」のカップリング曲「ヤゴ」。
ヤゴの幼虫の見た目がすごい、ということしか歌っていないにも関わらず極上のカッコよさ。今聞いても最高の一言です。
 思えばハイロウズ後期は歌詞から意味やメッセージが意図的に取り払われ、ロックンロールのカッコよさのみが残った曲、という現在のクロマニヨンズにつながるスタイルになっていた気がします。

 そしてアルバム発売に伴い行われた全国ツアー「The★MUSTANG 04-05」で初めてハイロウズのライブを見ることができました。
日付はたしか高校の入学式の少し前、春休みだったよな、とうる覚えでしたが、wiki見たらツアー日程全部書いてました。すごい。
3/29(火) 徳島県郷土文化会館 が記念すべき人生初ライブです。
 さすがに一人で行くことは許されず、母親とヒロトファンの友人の3人で行きました。
ワクワクしすぎて開演何時間も前から会場のあたりをウロウロ。
物販でアルバムを1枚買うとメンバー全員のサインカードがもらえたため、2回並びなおして2枚もらいました。実家の勉強机に今でも飾っているはずです。

 あの日のセットリストまでは覚えてませんが、大好きな「即死」を演奏したこと、
ヒロトのMCで「徳島に着いてから、このあたりでおいしいものは何、って聞いたら御座候って言われた。それは岡山(ヒロトの出身地)にもあるんだよ」
って言っていたことを今思い出しました。

 しかし結成10周年の2005年、ハイロウズ解散するんじゃないか、といううわさがファンの集まる掲示板で飛び交っていました。
アルバムからのリカットシングル「スパイダー・ホップ」のカップリング曲「全滅マーチ」の
「点滅すんのがやっと」や「途切れ途切れ かがやいたことも 途切れ途切れ みんな なしなし」といった歌詞がハイロウズ解散を示唆しているのではないか、といったものだったと記憶しています。
 今思えば勝手に深読みしていただけなのですが、2003年にはキーボードの白井幹夫が脱退していたこと、またTHE BLUE HEARTSが10年目に解散していたことなどから、バンドが終わってしまうのではないかという不安にかられていました。

 そして11月12日の朝、この日のことは多分一生忘れないでしょう。
 この日は確か土曜日で、部活の練習試合があったためその準備をしながらテレビを見ていました。ニュース番組のスポーツ新聞ななめ読みコーナーで突然、ハイロウズという言葉が耳に飛び込んできました。
 「昨日11日、人気ロックバンTHE HIGH-LOWSが活動休止を発表しました。」

 父親に車で試合会場に送ってもらう間ずっと泣いていました。形あるものは皆無くなる、という当たり前のことを、愛するロックバンドの解散という初めての体験で身をもって知りました。親からすればなんてしょうもないことで泣いてるんだ、と思ったでしょうが・・・

 その後すぐヒロトマーシークロマニヨンズで活動を始めましたが、私はハイロウズほど熱心になれませんでした。その後はART-SCHOOL,syrup16g,GRAPEVINEといったバンドにはまり始めており、いつの間にかヒロトの歌を聞かなくなっていました。


 時は流れ2016年7月23日、場所はフジロック レッドマーキー。徳島のライブから実に11年ぶり、ヒロトの歌う姿を見ました。
この日のライブは本当に楽しかった。ロックンロールバンドがロックンロールを演奏する姿に我を忘れるほど興奮し、人のうねりに飲まれ最後はぎゅうぎゅう詰めの前3列目まで流されながら狂ったようにヒロトの名前を叫んでいました。もはや足は地面についておらず、心なしか平均年齢の高いオーディエンスの汗まみれになりながら。

 ロックの素晴らしさを教えてくれた人は、あの日と変わらず誰よりも楽しそうに歌っていました。きっとバンドの名前なんてあの人には何の関係もないことなのでしょう。

 ライブ終了後、人がはけたフロアに誰かの財布の中身が散乱していました。残った人で協力しながら持ち主を探し、無事見つかった時なぜか「ロックンロールって最高だな」と心から感じていました。酒で酔っていたのもありますが、こんな風に皆で助け合い、好きな歌を歌えば戦争は無くなるな、平和って最高だなと思いながらケバブをかじりました。
 私がライブ中に落とした帽子は戻ってきませんでした。

レンタル移籍ってありなのか

神聖かまってちゃん、契約切れとかじゃなくてレンタル移籍なんですね。
そんなのありなのか。
エイプリルフールに嘘と本当が混じったグレーゾーンな情報を流すのは流石のかまってちゃんぶりですね。
これからも振り回されていきたいです。
進撃の巨人ED決定おめでとうございます。

レーベル移籍 忘れらんねえよと神聖かまってちゃん

 今ナタリー見てたら神聖かまってちゃんがワーナーからポニーキャニオンに移籍するというニュースが出てました。
好きなバンドが移籍、しかもセールスがあまりふるっていない時は少し心配になるニュースです。
そういえばついこの間も忘れらんねえよが次の配信シングルをVAPではなくユニバーサルからリリースっていうニュースもありました。

 今回の両バンドに共通しているのは、ベスト盤を出した後にもう1枚ミニアルバムを出している所です。
昔はベスト盤 = 契約切れなイメージを持ってましたが最近はもう少し猶予が出来たということなんでしょうか。
かまってちゃん、忘れらんんねえよどちらのミニアルバムも初期のイメージを損なわずサウンドが洗練された素敵な作品だったのと思うのですが、劇的に売り上げが伸びることはありませんでした。

 売れるバンド、売れないバンド(忘れらんねえよもかまってちゃんも大きい会場でライブしているし今のご時世十分売れている側でありますが)って本当に最初に決まってしまいますね。
愛するコレクターズがもし今デビューしていたら、6枚目の名盤UFO CLUVまで世間は待ってくれなかったかもしれません。

 神聖かまってちゃんはインターネット発ロックバンドの第一世代として、様々な媒体でもてはやされていた記憶があります。
ライブやTVの過激なパフォーマンスの話題先行でどんどん知名度を上げていきましたが、その知名度が楽曲の良さの認知に繋がらないまま現在まで来てしまいました。初期の問題行動で主要なロックフェスに呼ばれなくなったり、ロッキングオンジャパンでインタビューが載らないことも尾を引いている気がします。
 初めて「美ちなる方へ」という曲をyoutubeで聞いた時の、ついに自分世代のロックバンドに出会えたという喜びは色あせていません。ファーストが2枚同時だったのもTheピーズと同じでワクワクしました。同じくファースト2枚同時の銀杏BOYZもかなり紆余曲折を経ながら現在も続いていますし、こうやっていろいろな苦労が訪れるのは最初に曲のストックを出し切ってしまうような向こう見ずで、しかし愛すべきバンドの特徴なのかもしれません。
 
 一方忘れらんねえよはデビューシングルから現在までかなりのタイアップがついており、事務所・レーベルからかなりプッシュされてきました。かまってちゃんと違いフェス常連組で、かつフェス対応型のパフォーマンスができるバンドなので決して知名度は低くないはずです。
ただ青臭さ、ダサさを前面に押し出すバンドはなかなか大ブレイクは難しく(フラワーカンパニーズと同じ轍を踏んだ?)、青春ロックブームが過ぎ去り早10年以上が経過した現在の音楽シーンで、セールスは3000枚に満たない所で頭打ちになっています。
「俺よ届け」なんて泥臭さを超越して一種の普遍性を手にした名曲だと思います。この前新潟で行われたライブは、コレクターズの武道館の次に見てしまったのでその差に少しがっくり来てしまいましたが、それでも好きなバンドです。

 ファンとしては続けてさえくれれば、という思いがありますが最低限売れていないとそれも難しい所。例えばeastern youthはインディー落ちしてから以前のような活発なライブは行われなくなりました。
 ただ忘れらんねえよは野音公演がもう明日ですし、かまってちゃんもまだ大会場でワンマンをやる可能性は残されていると思います(中止になった国技館からやり直してほしい)。続けていれば武道館、というルートは最近開かれつつあるので、ぜひそこまでたどり着いてほしいです。

 両バンドにもう一つ共通しているのは、シーンに押されて表舞台に出てきた十把一絡げのバンドではないということ。足取りがおぼつかなくなくとも現在立っている場所は自力で作り出されたものであり、少なくとも私にとっては、他の何かと替えのきかないバンドであるということ。
この移籍を機に更なる飛躍を願っています。