壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

eastern youth 備忘録 街の底から夜明けを待つ

新潟CLUB RIVERSTで初eastern youthを堪能してまいりました。

なんといってもすさまじいギターの音。こんなに爆音なのか、eastern youthのライブは。
本当はもっと楽しみたかったのですが、一曲目でこれは耳が持たないと判断し、後は耳栓ごしのライブとなりました。

個人的ハイライトは「夜明けの歌」「街の底」、そしてアンコールの「沸点36度」。
耳栓をしていても十二分に聞こえる(むしろボーカルが聞こえやすいくらい)状態ですが、この3曲だけはどうしても五感全体で感じたかったので、恐る恐る耳栓を外すことに。

その瞬間の宇宙に投げたされた感たるやすごいものがありました。
ギターや歌声が比喩ではなく皮膚に突き刺さる。
周りの人は2時間こんな爆音の海の中にいて耳が大丈夫なのか、と本気で思いました。
ファンの方々は耳が鍛えられているのでしょうか。

「週末の娯楽」では到底すまない、明日をまた生き抜くための儀式のようなライブでした。

syrup16g 10/5 zepp tokyo 回顧録(2)

syrup16gのライブは、ファンは基本地蔵である」

私は再結成前のイメージを引きずっていました。
確かに最近は手拍子をする明るいファンもちらほら見られますが、まだ少数派。
自分の立った場所から一歩も動かずステージを凝視し、時に涙を流すのが基本スタイル。
そう信じていた私は、他のライブではまずしない、荷物を持ったまま最前ブロックに陣取るという愚行をおかしてしまいました。

周りにいた方には本当に申し訳ないことをしました・・・
ただ言い訳をすると、去年の徘徊ツアーで初日の金沢に行った時(この時も前3列目マキリン側、荷物はなし)の
後ろのカップルの会話が頭に残っていたのが原因なんです。

女「けっこう隙間あるけど誰もつめないね」
男「ライブ始まったらみんな一気に前行くから、もっと近くで見れるよ」

~ライブ開始
男「・・・あれ?」
女「誰もつめないね」

この時私は「そうか、syrupのライブならスタンディングの最前でもこんなゆったり見れるのか」という情報をインプットしてしまいました。

しかしこの日(zepp)は違いました。
客電が消えた瞬間、後ろからどっとかかる圧。
荷物を右手に持っていた私はあっという間に満員の山手線の邪魔な乗客状態に。
やばい、やってしまったとにわかに焦る私。
こんなことなら数百円のロッカー代をけちるんじゃなかった、と後悔するも後の祭り。
そういえば再結成後最初のツアーの初日の名古屋、真ん中のほうで見ていたので忘れていたけど前のほうはすごい熱狂的だったな、生還の後の弾き語りの時も押しつぶされたな、と記憶を掘り起こしながら個人的に初のもみくちゃ状態でのsyrupのライブが始まりました。

ステージに上がるメンバー。
マキリンの顎にはステキな髭が。初めて見た姿にテンションはいきなり上がります。
そして全員そろいの上下黒の服装。
中畑さんの金髪以外は真っ黒のステージ、葬式帰りのポリシックスみたいな印象を受けました。

始まったのはおそらく客全員が待ち望んでいたであろう、copyの一曲目「She was beautiful」。
16年前の曲はその美しさを少しも損なうことなくそこにただ存在していました。
となりの男性の頬には早くも涙の跡が。
荷物をぶつけてしまっている右の女性に心の中で謝罪しながらも、一瞬で心は歌の中に没入。

3曲目の「Sonic Disorder」のあたりで、ふっと体が軽くなるのを感じました。
気が付くと、私はライブ開始前に立っていた、ゆとりある前から3列目の場所に戻っていました。
あれ、と後ろを振り向くと、後ろの人と、そして左右の人ともある程度の距離が。
一瞬邪魔すぎて、もしくは耐え難い異臭(発していないと信じたい)で避けられたかと血の気が引きましたが、
前フロアを見渡すと全体的に余裕が戻っており、開演前と同じ状態になっていました。
察するに、新しいファンの方々が他のライブと同様に前に押し寄せた後、あれ、そういう感じじゃないのかなと元いた場所に下がったのでしょう。
やれやれ一安心、と荷物を足の間に挟みなおしてその後のライブを見ていました。

本編の曲は「My Love's Sold」以外全てcopy以前の楽曲たち(サイケデリック後遺症は確か初期のデモテープに収録されていたはず)。

これで最後だとやけくそで制作した「copy」によって図らずも道が開け、そして同時に初期syrupの終わりが始まった16年前のsyrup16gを現在に投影しようという明確な意図を持ったセットリストであると感じました。
16年前に一度満月を迎え、そして左側から少しづつ欠けていく十六夜の月へ。
そして月日は流れ、あの日以上の輝きを放つステージ上のsyrup16g

中畑さんはMCで「今27か28歳の人どれくらいいますか?」と客席に呼びかけ。
そして「僕らがそのくらいの時にcopyを作ったので、(27,28の人は)まだ大丈夫です」と一言。

私は今28歳。人生に行き詰っているどころか、悪い意味で開き直り始めている私にとってこの言葉は響きました。
そういえばエレカシの宮本さんが「悲しみの果て」を作ったのもこれくらいだったかな、と思い出しながら
人生(仕事や未来について)もう少し踏ん張らなきゃな、と思い直しました。
そして心の底からバンドをやりたいな、と改めて思い、ギターの練習を再開している今日この頃です(これも現実逃避な気がしないでもない)。

アンコールは「Share the light」「ニセモノ」「vampire's store」と解散・再結成前後の3枚から1曲づつ。
ラストはこれもcopy以前からある曲「落堕」。
現在と過去のsyrupを並列させる完璧に近いライブでした。

鳴り止まないダブルアンコールを求める拍手。そしてステージに戻る3人。
マキリンは「なんだよ、初日からめんどくせえな」と言いたげな表情をうかべ、周囲のお客さんは笑っていました。

この日、ものすごい欲を言えばラストの曲は「リアル」ではなく、「翌日」などのcopy以前の曲か、もしくは再結成後の曲で締めてくれれば最高だったな、と感じましたが、こんなことを考えられるのも毎年ツアーをやってくれるという奇跡が続いているからこそ。
この喜びだけは忘れず、また次の、未来のsyrupに期待できる日々が続くことを願うのみです。



Amazonで注文し、今日やっと届いた「delaidback」を聞きながらこのブログを書いています。
ツアー後半、これらの楽曲が聞けるのが本当に楽しみです。

岡村靖幸 11/3 zepp divercity 備忘録

一月ぶり、syrup以来のお台場。
今日も月がとてもキレイ。
そしてdivercityはものすごく暑くて熱かったです。
確かに今日はかなり暖かい日でしたが、それを差し引いても暑すぎる。
11月にかく汗の量ではありませんでした。

そして今日も岡村ちゃんはカッコよくてどこかおかしい。
赤のジャケットが似合うおじさんは岡村ちゃんとルパンくらいしかいないし、自分の名前をちゃん付けで呼んでも素敵な50台男性は岡村ちゃんだけでしょう。

私が岡村ちゃんを愛してやまない理由のひとつとして、曲に自己投影が一切不可能な所が挙げられます。
私はバスケ部じゃなかったし、クラスのあまり喋ったことない娘とペンションに行ったことないし、六本木に至ってはどの電車に乗れば着くのかも知らない。
カルアミルクは甘いから大好きだけど。
だから岡村ちゃんの曲はこちらのメンタルの状態に無関係に、いつもカッコよく突き刺さるのです。
自己投影できない、こちらからは一切手を触れることができない曲の輝きは一切色褪せることなく、いつも美しい。
感覚としては少女漫画、特に君に届けみたいなキラキラ眩いものを見る感じに近いです。

そして岡村ちゃんが何よりカッコいいのはそのカッコ良さの中にファニーであったりストレンジであったり、一歩間違えればダサくなってしまうような要素を内包している所だと思います。
あのダンスは岡村ちゃん以外では成立しない、例えばEXILEのように守備徹頭カッコよさのみで作られたものではありません。
しかし、そのある種のダサさを振り切った、ダサさを飲み込んだ突き抜けた素晴らしさが岡村ちゃんにはあると思うのです。

カッコいい、なのにどこか笑えるというのはロックンロールそのもの。
ジョンライドンが小さな体でぴょんぴょん飛び跳ねたり、ヒロトが摩訶不思議な動きをしながら歌うからこそロックの凄さがより際立つ。
岡村ちゃんの投げキッスや大好き、という言葉に心から喜べる今日は幸せ以外の何物でもありません。
新曲も聞けて嬉しかった。

メンタルが人生最大級に落ちている時に岡村ちゃんのライブが見れて本当に良かった。
フジロック以来のMP大幅回復。
これでもう少し生きていけそうです。

syrup16g 10/5 zepp tokyo 回顧録(1)

カープ日本シリーズの思い出を書く前に。
syrup16gのツアー前半戦終了ということで初日の思い出を忘れないうちに書こうと思います。

仙台でユニゾンとの対バンを見て以来のsyrup。
年に何回もsyrupのライブを観れる幸せを忘れないようにしなくては、と思っている今日この頃。

今回のツアーから物販の種類が倍増しました。
横になった犬がプリントされた衣服諸々、靴下ってなんだよ...
スタッフ側が本格的に私たちの足下を見始めた感じです。
そして遂に直筆ダサダサTシャツは各会場限定に。

それを見た瞬間私が感じたのは、
「なんてアコギな商売を!!許せん...」ではなく
「うわあ、コンプリートしたい...」でした。
私はsyrupのTシャツとフジロックのためだけに働いております。

第一夜Tシャツを確実にゲットするため、物販開始1時間前にはzepp tokyoに到着。
そこにはすでに意味不明なグッズを欲する集団が100人ほど。
平日のこんな時間に並べる私たちは、学生以外は社会不適合者側に分類されるでしょう。
首になったらどうしよう本当に。
将来を案じつつ、この日演奏されるであろう「copy」の楽曲を聞きながら待つことに。

そしてこの列待機中に「delaidback」発売を知りました。
その瞬間、本当に少し泣いてしまいました。
一曲目の「光のような」、これはおそらく犬が吠える時代の「光」でしょう、というかそうであってほしい。
そして私が未発表曲の中で最も好きな「upside down」の文字が!!
syrupが解散し、犬が吠えるもあっという間に雲散霧消したあの頃、
ネットに転がっている密録音源を繰り返し聞くしかなかった日々を思い出しました。
ライブが始まる前から気分は最高潮。

無事ダサいTシャツを複数種購入し、zeppの隣のオシャレな商業施設で時間をつぶすことに。
しかしそこにはお台場のオシャレ感とは真逆の空間が広がっていました。
生還、再発、患者、徘徊...
変な文字の書いたTシャツを着たたくさんの人間が、私と同じようにウロウロしていたのです(私は着ていませんでした)
そしてトイレからは「一夜」Tシャツに着替えた人が出てくる出てくる。
完全なる異空間。
僕は一人じゃないんだ、と悪い意味で感じることが出来た瞬間でした。

そんなこんなしているうちに入場開始時間。
500番台だったにも関わらず、マキリン側3列目に陣取れました。
ここ最近のワンマンライブ、会場の大小にかかわらずこのあたりの位置を確保できています。
私はマキリンの大ファン。
激しい曲ではクールにリズムを刻み、おとなしい曲で首を小刻みに震わせながらうねるベースラインを奏でるマキリンを見るのが大好きです。
今日もマキリンの雄姿をこの目に焼き付けるぞ、とワクワクしながら、延々と同じ曲がループするSEを聞きながら待機。

そして私はこの日syrupのライブで初めての体験と、大きな失敗を犯してしまうのです...
毎回一回で書くの終わらないな、もう一回続けます。

ついでに、中村奨成選手広島カープへようこそ!!!

カープCS敗退に思うこと

あっさりと、淡々と、気づけば4連敗していました。
昨年の日本シリーズでもそうでしたが、一度勢いを失うと一番弱かったころのカープの野球に戻ってしまいます。

投手は打たれてはいけない場面できっちりとホームランを献上する。
力の入った打者は石井コーチに叩き込まれたはずの進塁打の打ち方すら完全に忘れ、追い詰められてからの強硬策は勇気というよりも無謀な自殺行為。

今シリーズは昨年のように思考停止の中継ぎこそなかったものの(中継ぎ勝負にすらもちこめなかったからですが)、無理して薮田を中4日で投げさせ、結局早い回で降りたシーンは昨年の日本シリーズ第五戦のジョンソンのリプレイかと思いました。

ただ、今年は本当に、全くといっていいほど悲しくありませんでした。
というよりも、今年はカープが勝っても負けても、そして優勝した日もほとんど感情が動かなくなっていました。

それは、去年のこの時季、ど平日に会社を休み一人向かった札幌ドーム三連戦の記憶のせいでしょうか。
あの日、私の人生から確実にひとつの熱と色が失われました。

今年はもうチケットや宿の心配をする必要がないので、ドラフトを待ちつつあの日の記憶を徒然と書いて見ようかと思います。

syrup16g 備忘録 今宵の月のように

zepp tokyoから出て、私はすぐ空を見上げました。
今日の月、十六夜の月が出ているか探すためです。
それは大観覧車の隣、昨日の満月と一見何ら変わることのない綺麗な姿で輝いていました。

次の日から欠ける満月より14番目の月が好き、と歌ったのは誰だったでしょうか。
しかし今日の夜空を眺めると16番目の月、というのも素敵だな、と感じました。
ピークを過ぎ、これから形を失う一方だと分かりながら、終わりへの歩を進めることをためらわず、むしろ能う限り輝こうとするような月。
ただの語呂合わせではなく、それはsyrupにも通じる所があると思います。

未来や希望の有る無しに関わらず、生きている限りは生きるためもがく。
どんな負の感情にとらわれようとも、ゴールは死ではなく生きること。

どんな形になっても歩みを止めず、生命のエネルギーを放射し続ける月とsyrup。
今日のライブはより一層特別だなあ、と考えながら空を見ていると、カンボジアの子供に募金を、と十中八九詐欺であろうおばさんに捕まってしまいました。

側から見れば口を半開きで観覧車の方向を眺め続ける男。それは田舎者丸出しの行動であり、詐欺を働くには格好のカモでしょう。
そして実際私は超が付くほどの田舎者。

おばさんの波状攻撃を振り払うことができず、私は諦め千円を差し出しました。
これはダサいsyrupのTシャツにポンポン金を出すというお金のありがたみを忘れたことに対する罰なのだ、と自分に言い聞かせながら。

おばさんは私に握手を求めながら、
お兄さんにはきっといいことがあるよと言ってきました。
流石冷凍都市東京の詐欺はレベルがちがう。
カモった相手にトドメを刺すことを忘れません。
いいこと?とりあえず千円返してくれ。

今日は飲んで仕切り直します。
心のひとつふたつ折れたくらいで生きることを諦めるわけにはいかないのです。
そう、今宵の月のように...

夏の終わりのサニーデイサービス 備忘録

日が落ちていき、照明が輝く野音
野音中に鳴り響いていた蝉のコーラスが、何曲目からか、いつの間にかスズムシの歌声に変わっていました。
夕暮れから夜へ、そして夏の終わりから秋へ変化する瞬間を感じながら聞くサニーデイサービス。
いつかのGRAPEVINE野音でも、スズムシの音色を聴きながら季節の変わり目を感じたのを思い出しました。
季節は繰り返し、去年とは違うスズムシが同じように奏でるメロディ。
ステージ上には、いつかと同じ姿ではないものの、確かに今存在するサニーデイサービスがいつかと同じ歌を、あの日以上の情熱で奏でていました。
また次の夏も、彼らに会いに行けますように。