壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

スピッツとsyrup16g(2) 四畳半ロック大陸

7月20日,新木場サンセットatスタジオコースト

先頭バッターはまさかのsyrup16g
本当に大丈夫なのか、五十嵐が緊張してギターソロが弾けないのではないか、と訳の分からない心配をしながら開演を待っていました。
周囲には活動再開後初めてsyrupを見る人も多くいたようで、ライブ前の高揚感とはまた別のソワソワとした緊張感にコーストが包まれる中、
ほぼ定刻、ジャズマスターの音と共にライブが始まりました。

「 いつのまにか ここはどこだ 君は何をしてる 」

五十嵐が歌いだす。一曲目に選ばれたのは「きこえるかい」。
解散ライブで歌われて以来、復活後は初めての演奏となる曲でした。
そのイントロが奏でられた瞬間、それは何かに感動した人間の反応としては月並みなものですが、体の震えが抑えられませんでした。

解散ライブの一曲目、これから終わりに向かうバンドへの鎮魂歌のように紡がれた曲が、今目の前で確かな生命のリズムを刻んでいる。
いつのまにか、あの日から8年の月日が流れた東京で、私はsyrup16gのライブを見ていました。

「 いいさ どんな言葉でも受けるよ 知らせるさ 君には聞こえるかい 」

あの日死にゆくsyrupをただ見守ることしかできなかった私たちの前で、五十嵐は高らかに歌い上げる、聞こえるかい、と。
その場で飛び跳ねるでもこぶしを挙げるでもなく、ただ涙をこらえながらじっとステージ上の3人の演奏する姿を、命を取り戻したバンドを見つめることしかできませんでした。

マサムネのリクエスト曲という前フリで始まった「センチメンタル」や大名曲である「翌日」などその日のセットリスト全七曲の中で、再結成後のアルバムから「生きているよりマシさ」が演奏されました。
これぞsyrupという、パブリックイメージ通りの分かりやすいネガティブさが表されたタイトルであり、歌詞も部屋に引きこもる日々で感じたことを淡々とつづった日記のようで、まるで活動休止期間僕はこんな感じでしたよ、と五十嵐から私たちへの現状報告のような曲。

そしてスピッツもまた自身の不変をアンコールの「醒めない」という曲で高らかに歌い上げました。

「まだまだ醒めない アタマん中で ロック大陸の物語が」

ロックンロールの初期衝動を今も忘れず、これからも解き進んでいくことを高らかに宣言するスピッツの最新曲です。
かつてロビンソンで「誰もさわれない二人だけの国」と歌ったスピッツですが、このロック大陸という空想の世界に、果たしてスピッツ以外に住人がいるのでしょうか。

syrup16gスピッツの楽曲の持つ普遍性は、外気と遮断された空間で生まれたことに由来する気がします。
誰にも手が届かないからこそ輝きを失わない。
願わくば、その輝きが永遠のものでありますように。

2016年、2つのバンドが最新アルバムを発表しました。
7月27日発売のスピッツ「醒めない」、そして11月16日発売のsyrup16g「darc」。
2つのバンドの音楽は、遥かな道程の中で今も鳴り続けています。