壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

感受性応答セヨ eastern youth new albamに寄せて

感受性が応答しない、というか新しいものを受け入れる余裕が心や頭に無い、ということをよく実感します。

最近、本当にかっこいいバンドが増えたと思います。
音がオシャレで、スタイリッシュで、スマートで、どこに出しても恥ずかしくない。
ceroから始まって、ミツメとかnever young beachとかTempalayとかYogee New WavesとかyahyelとかSuchmosとか。
youtubeのおすすめを見るだけでこんなに出てきます。

こういうバンドを好きになりたい、世間の大きな流れに同調したいといつも思います。
「センス」がある音楽を聴けるようになりたい。

ただ、何回聞いても心が開かない。歌詞が入ってこない。
死ぬ前に最後に聞きたい曲は?ということをたまに考えるのですが、どうやってもこれらのバンドの曲はランクインしない。
きっとこれを高校生の頃に聞いていたらきっと虜になっていたはずなんです。
証拠に一世代前の「シティポップ」、サニーデイサービスは大好きです。
今年のフジロックにも出る「RHYE」も大好きですし(syrup五十嵐の「生還」ライブの時にずっとかかっていて、それ以来虜です)。

理由はひとつ、こちらの感受性が応答しなくなった、閉じてしまったのでしょう。
若く新しい才能を受け入れられない。直視できない。
「過去に聴いたことがあるもの」しか聞けない。
このまま、いつか好きな音楽でさえ聞けなくなってしまうのではないか。

思えば最後に好きになったバンドって神聖かまってちゃんでしょうか。それかおとぎ話か。
どちらもとっくに中堅バンド。時は流れています。

これでいいのか、こんなんでいいのかと感じながら生きる今日この頃にうれしいニュースが飛び込んできました。
eastern youth new album「SONGentoJIYU」9/27発売。

歌声が直接血管に流れこんでくるような、洗練という言葉の対極にいるようなバンド。
2015年にベースの二宮さんが抜けて、立ち枯れてしまってもおかしくない、と思っていました。
結局ライブは一度も行けずじまい。

今度こそは、と思い新潟のライブに申し込みました。

尊厳と自由。
きっと様々なことを考えながらボーカルの吉野さんは日々を生きているのでしょう。
でも、バンドの、吉野さんの政治思想とかはある意味どうでもよく。
曲が始まった瞬間のあの興奮と、バンドが街の底で生きながらえているという事実が全てで、それで十分で。

心臓が動き、血液が流れ、何かをにらみ続けながらギリギリ生きている。それが全て。

今の私に、煌めくシティポップは必要ないかもしれません。
新しいものを受け入れられない、という問題は全く解決していませんが、eastern youthで心が震えている間は、それがまだ心の扉は閉じていない証拠になる気がします。

最後に最愛の一曲を。
消えるからいいんだ。



eastern youth 沸点36℃ PV