壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

syrup16g SCAM:SPAM:SCUM 新木場2days 雑記

ここ最近、syrup16gの音楽を聞く頻度がめっきり減っていた。

そろそろ私も卒業かな、と思っていたのだが、この2日連続の無観客ライブを見てあっさり再燃。やはりそう簡単に抜け出せるものではなさそうだ。

そして無観客のフロアを見ながら、どうして最近syrup16gを聞かなかったのか、という理由に思い当たった。

ものすごく恥ずかしい、思い上がりも甚だしい事なのだけれど、syrup16gが「自分のバンド」でなくなった様な気がしていたのだ。

syrup16gを取り巻く環境は素晴らしいものだと思うし、このバンドがライブ毎に何かをすり減らす様な過去の状態に戻って欲しい、という気は全くないのだが、満員で盛り上がるフロアにどうしても馴染めない自分がいたことを否定できない。

他の客が嫌なら映像で我慢しろ、で終わる話なのだが、バンドと自分の1対1、という空間が好きだった老害としてはどこか拗ねた気持ちでいたように思う。

極め付けは去年のツアー、復帰後初めてチケットが取れなかったのだ。これは凹んだ。

もう古い客は用無しか、と後ろ向きの思い込みが加速し、syrup16gのアルバムから足が遠のいてしまっていた(それでなくても去年は台風クラブばかり聞いていたし)。

 

3人の演奏と歌声しか聞こえない、本来なら2000人を収容できるキャパを持つ新木場コースト。

客がいようがいまいがキレキレのライブをするメンバーを見ながら、私が間違っていた、と深く反省した。いつだって、どんな状況であってもsyrup16gは最高だ、という基本的なことをすっかり忘れていた。

それでなくてもこの2日間、五十嵐さんの声とギターはかなり状態が良かったし、セトリも普段聞けない曲ばかり。

念願の「光のような」を聞けて本当に嬉しかった。

MUSICAの巻頭特集を繰り返し読み、期待に胸を膨らませていた新バンド、犬が吠えるはたった一言を残して解散。残された音源をネットで繰り返し聞いていたあの頃を思い出した。

 

個人的に印象に残ったのは、初日の「旅立ちの歌」、2日目は「Thank you」。前向きな言葉を持つ楽曲が、その輝きを損なうことなく鳴らされていた。

syrup16gは、ことさらに自分の弱さを見せつけ「下からマウントをとってくる」ようなバンドでは決してない。

生きていく上で当たり前に前向きになったり落ち込んだりする日常が歌になり、それは今ここにない負の感情を商品のために無理矢理捻り出したものとは一線を画する。

だからこそどの楽曲も生まれた時代と関係なく、今に対峙する力を失わないのだろう。生きている、という状態に嘘など一つもないのだから。

 

「Mouth to Mouse 」とそれに続く「You Say 'No'」のリズム隊2人の優しいコーラス、そして12弦ギターの音色が沁みた。

「バナナの皮」のベースラインはいつだって可愛らしいし、「Your eyes closed」なんてもう慈愛の極地のような歌だ。

アンコールは2日とも定番曲が多かったが、そりゃ定番にもなるよな、という圧巻の演奏だった。そもそもsyrup16gの曲を定番、と感じられることの幸せを忘れかけていた。

 

まだまだ聞きたい曲がたくさんある。

いつか生で「パレード」を聞いて涙したい。

振替公演に行けるよう元気でいたいな、というのが、ライブが終わりモニターを眺めながら出た感想だ。

 

そう、うだうだ言いながらこの2daysのチケットは買っていたのだ。

変な漢字がでかでかと書かれたTシャツを着る生活はまだ終わりそうにない。

 

the MADRASとチューインガム・ウィークエンド/サブスク解禁についての雑記

この日を待ってました。

ブックオフディスクユニオンで「ち」の棚を眺めては落胆する、を繰り返していた日々から早幾年、遂に誰もが正規の手段でチューインガムウィークエンドの名盤を心ゆくまで堪能できる世界が到来。

 

更にこのタイミングでthe MADRASのアルバムまで解禁とは。

「あの娘をつかまえて」、「コールドフィーバー」、「ウォーターピストル」そして「ルーザー」。 

配信直後から聴き倒しています。

 

あまりサブスクに好意的ではなかったのですが(使っといて言うのもあれだけど)、こうして過去と現在の断絶を取り払い、歴史の中で埋もれかけていた音楽をあるべき場所へ戻すことができるのは素晴らしい。

 

とにかく色々な人に「キリングポップ」の凄さを知って欲しいし、「アイス」「ロマンス」「キラーベイブ」のシングルに収まりきらない名曲を聞いて欲しいし、1stの暖かい音の良さを再確認して欲しいし、そして何よりその音楽が今も鳴り止んでいないことを「awake」で感じて欲しい。

 

今は正直東京に行く勇気が出ませんが(満員電車などの交通機関が怖い)、イヤホンさえあれば四畳半の部屋だってライブハウス。

しばらくは音源を聴き込むことにしようと思います。

 

配信では飽き足らず、シングル「クロール」を箱から引っ張り出して聴いてます。

これがまたいいんだ。

YouTubeので申し訳ないけど今日の一曲を貼っておきます。

 


The Chewinggum Weekend - I.D.

 

 

the MADRAS 11/30 下北沢CLUB251 初ワンマンライブ備忘録

the MADRASの持ち曲があと100曲くらいあれば、まだこの幸せなライブが続くのに、と言うのが終演後の率直な気持ちでした。

 

既発曲が12曲、スターダストとエンドロールという橋本さん復活ライブから歌われている2曲、そして珠玉の新曲が4曲で計18曲。

the MADRAS現段階での総決算であると同時に、このバンドが未来へ繋がっているという希望、そして未来へ繋がって行くという意志を強く感じた素晴らしいライブでした。

 

最近加速度的にライブに行く回数が増えているのですが、この日は初めてライブハウスに入った時のように開演前はやたら緊張していました。

何回も後ろを振り返りながら早く埋まらないかな、とソワソワしたり、数十秒毎に時計を気にしたりと落ち着きのないことこの上なし。

最前列にも行きたいが常にバンド全体が見渡せる場所にいたい、という気持ちがこの日は特に強く、客席中央にあったテーブルに陣取り、反対側にいた外国の女性2人組のお酒の消費スピードにビビりながら開演を待つ私。

7時を十数分過ぎた所で客電が落ち、歓声の中ステージに上がるメンバー。遂に初ワンマンがスタートしました。

 

1曲目はアルバムと同様、幕開けはもうこれしかないという「ワンダー」。

歌詞の中、明日またきっとここで会えるよ、の「ここ」は、音楽が鳴り響いている今まさにここなんだ、と勝手に感動しながら丁寧に紡がれる歌声と演奏に聞き入っていました。

 

2曲目は「スタンド」。

初めてthe MADRASを聞いたのはフリーダウンロードシングルとして配信されたこの曲。イントロが始まった瞬間、ああ、このバンドだと感じたのが3年前でした。

サビと2番に入る間にバンドが溜める瞬間、木下さんが弾き倒すソロ、最後のコーラスの所が何回聞いてもたまらなく好きです。それはもちろんこの日も。

 

3曲目はthe MADRASの楽曲の中でも屈指の明るい曲調の「ハブファン」。客席からは自然発生的に手拍子も生まれました。

この辺りで緊張も解け始め、この特別なライブを心ゆくまで楽しもうというモードに変わっていきました。

 

この日初めてのMCと報告をはさみ、始まったのは(橋本さんの中で)懐かしい「スターダスト」と、続く「あの夏の僕ら」という最初期の楽曲。上田さんと2人で歌われた頃から、現在のバンド編成になるまでアレンジが変わってきたであろうこの2曲。

そんな歴史に思いを馳せながら、ゆっくりと身体をゆらしていました。

 

そして遂に演奏された「ルーザー」。個人的に最初のピークでした。「ホール」と甲乙つけがたいですが、この曲は最高です。

君は誰と笑うの、と繰り返す(最後の所loveかlaughか定かではないですが、laughの方が遠くから見ることしかできない感じがしてグッときます)、この世界では決してあなたと交われない孤独と疎外感を抱え、自分のことをエイリアンとすら呼ぶ主人公。

しかしそのストーリーが悲壮感だけでなく、夜空に月を探すようなある種の力強さに昇華されているのはバンドマジックとしか言いようがないでしょう。

 

リアルバースデー」はカップリングでありながらアルバムにも収録されており、バンドにとってもきっと大切な曲。

本当の誕生日、今の自分とは別の自分、ここではないどこかを探し求めてさまよう姿を、演奏が力強く肯定し。

「ルーザー」でも思いましたが、木下さんと安蒜さん2人のギタリストがいるのは凄くいい。

木下さんが一心不乱にソロを弾いている時に、安蒜さんが丁寧にコードを刻み、えらさんと共にバンドのリズムの手綱をしっかり握ることで曲の立体感が更に増している気がします。

 

「ホール」は空洞の中で響いているようなギターと、誰もいない空間で静かに漂うような橋本さんの歌声が重なり、静と動のコントラストが映える切ない名曲。

 

先の「ホール」が橋本さん復活ライブの1曲目なら、続く「エンドロール」はラストの曲。その時はピアノアレンジだったそう。

この2曲だけではないですが、共通するのは世界から断絶された、もしくは拒絶した私とあなたしかいない場所。

ミクロで近視的で、全てから守られると同時に遠ざけられるシェルターのような世界の中で、確かな何かを探す2人を否定するでもなく肯定するでもなく、その瞬間をスケッチした歌詞。胸の奥を掻き毟るようなアウトロのギターも素晴らしく、ぜひこのアレンジで録音した音源を聴きたい所です。

 

様々なことを乗り越えたアルバム制作を経て生まれたという新曲「アウェイク」。

theピーズの「トドメをはでにくれ」やフラワーカンパニーズの「吐きたくなるほど愛されたい」のような、そのアルバムタイトルを冠しながらそのアルバムには未収録、というタイプの曲ですが、先の例に漏れずこの「アウェイク」も名曲でした。

目を覚ましても夢のまま、というのは現実も夢のような美しさを持つという意味か、夢から抜け出せないという意味か。誰かに支えられ、また誰かを支えながら進む、というバンドの新たな宣誓のような曲は、えらさんのコーラスに彩られ力強い光を放っているようでした。

 

勢いよくドラムのカウントから始まる、バンドサウンド際立つ「リバース」、そして間髪入れず由緒正しいギターロックな名曲(さっきから何回名曲という言葉を使ったか、語彙のなさがただただ悲しい…)「スパークル」と力強い曲が続き、ライブもいよいよ佳境に入ります。

 

アルペジオから幕を開けるのはまたしても新曲の「エディット」。静かに始まり最後にエモーショナルなギターが炸裂する、どことなくチューインガムウィークエンドを思わせるの曲の後、橋本さんがメンバーに話しかけつつ橋本さん自身が語るスタイルの、この日初めての長いMCに入りました。

 

私は中学生の頃にブルーハーツでロックを知り、最初に行ったライブはハイロウズのものでした。彼らは毎年アルバムを出し、全国の大きいハコをくまなく回るワンマンツアーを行っており、バンドとはそういうものなのだ、と何となく思っていました。

しかし、アルバムを出す、ワンマンライブを行うということは、決して誰にでもできる当たり前の事ではない、ということを今回改めて知ることになりました。

メンバー1人1人が語るアルバム、ワンマンライブ、そしてバンドに対する強い思いを聞きながら、バンドを続けること、他人同士が苦楽を共にしながら作品を生み出すことの難しさ、尊さ、そしてその結晶を享受できることへの喜びと感謝を感じずにはいられませんでした。

 

どんなバンドも、人間という生き物が集っている以上、いつか必ず終わりが来ます。それはthe MADRASも例外ではないでしょう。

でも今だけは、永遠と言うあり得ない奇跡を信じていたい。

 

この日、下北沢だけでもいくつものライブが行われていました。きっと世界中でライブが行われ、バンドの数だけ奇跡があり、それを信じる人がいて。

そうである限り、時代とは関係なくロックンロールは鳴り止まず、バンドは転がり続けていくのでしょう。

 

次で最後のブロックだよ、という木下さんの紹介で始まったのは、the MADRASというバンドの始まりの曲であると言う「ロスト」。

憧れを汚してしまった、という歌詞が切なく胸にささります。

以前読んだ山川直人さんの漫画で、自分を1番裏切ってきたのは自分だ、という一節がありました。

他者からは推し量ることしか出来ませんが、きっと橋本さんもいくつもの挫折や苦悩を経験されたのだと思います。

ただ立ち止まりながらも、消えたくなる夜を超え、歩くことを橋本さんがやめなかったからこそ、この日the MADRASというバンドが存在し、「最果て真っ直ぐ見つめたら 世界はいつも綺麗だった」という力強い歌詞を、最高のメロディと演奏に乗せて歌う橋本さんに出会うことができたのです。

 

初めてチューインガムウィークエンドを聞いた時点でそのバンドは既になく、伝説の存在になっていました。

続く「ハピネス」も、「駄目になってしまった だけどきっと 続きがあるんだ」という歌詞で始まります。続きがある、次を信じられる、なんたる幸せなことか。

木下さんと安蒜さん2人が前に出てそれぞれのギターを鳴らした瞬間がこの日の個人的ハイライトでした。きっとこの演奏はこの日にしか出来ないはず。ライブアルバム出ないかな…

 

本編最後を飾るのは、1stシングルであり、やはりアルバムと同じく「デイドリーマー」。残る力を全て振り絞るような演奏、そしてステージに崩れ落ちながらギターを掻き鳴らす木下さん。アルバムリリースツアーのファイナルに相応しい大円団でした。

 

メンバーはステージを降りますが、もちろんもっと曲を聞きたい、厳密に言えば最後に「ラフ」を聞きたいという皆の思いが、決して予定調和ではないアンコールを求める手拍子に変わります。

 

the MADRASシャツとこの日発売のシャツに着替えステージに戻ったメンバーによる、微笑ましい促販コーナーをはさみ(えらさんほど詳しく、そしてシャツのコーディネートの仕方まで紹介してくれるMCは、後にも先にも服屋以外で聞いたことのないものでした)、始まったのはまさかの新曲「シュガーラッシュ」。

ノイジーで、オルタナで、圧倒的強度を持つメロディーで。これはもう最高としか表現しようがない。体が意志より先に動き出し、口から声にならない声が溢れ。こんな新曲があるなら、来たるべき2ndアルバムはとんでもない傑作になるのは間違いありません。

 

パシッと潔くかっこよく終わる「シュガーラッシュ」、そして手拍子に合わせ最後のメンバー紹介が行われた後、遂に始まる「ラフ」。1、2、3、4というドラマーの掛け声ほど素敵なものって中々ないですな。

それにしても歌詞を全文書き起こしたくなるような素晴らしい曲、そして完璧な演奏。

こんなバンドを独り占めするにはあまりにももったいない。少しでも多くの人に聞いてもらいたい。きっと生涯聴き続けることのできるCDが棚に1枚増えるはず。

 

こうして、特別な、そしてこれからもこんな夜が来て欲しいと心から願うことのできる、素晴らしいライブは幕を閉じました。

 

 

ライブから既に1週間以上が経過し、細部の記憶が少しずつ失われる中でようやく備忘録を書き終えました。書きながら思い出すスタイル。

それにしてもシュガーラッシュは良かった。そして終演後に飲んだビールは本当に美味しかった。

その熱覚めやらぬまま、次の日私は新宿の紀伊國屋の上にあるディスクユニオンで人生で1番高いレコード(クロマニヨンズの4thアルバム)を買い、伊勢丹で彼女へのクリスマスプレゼントを買い、トドメに秋葉原でアホ程高いレコードプレーヤー一式を購入し。

クレジットカードの引き落としに戦々恐々としながら東京を後にしたのでした。

 

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the madras 8/21 高円寺ムーンストンプ 備忘録

来週末のthe madrasワンマン、そして今年のライブ納めの台風クラブまでに、下書きのまま放置してしまっていた記事を思い出しつつ更新していきたいと思います。

まずはもう3ヶ月前、高円寺で行われたthe madrasのアコースティックセットでのワンマンの、幸せな記憶から。



仕事が終わり、無理すれば7時ぐらいには東京行けないこともない、という場所に転勤した私。
遂にその禁断の果実に手を出し、定時退社後一目散に駅に。満席の新幹線自由席、揺られながら向かうはthe madrasのアコースティックワンマンライブin高円寺。

この日、窓口の駅員さんに違う切符を買われて何故か文句言われた時には想像もできなかったような、人生で5本の指に入る幸せな夜が私を待っていました。


開演ギリギリに到着したライブ会場である高円寺ムーンストンプ、入店した瞬間目に入るカープのユニフォーム。
テレビではカープの試合が流れており、普段はカープファンが集うバーであるとのこと。
地上の楽園の楽園にたどり着き、ニヤニヤが止まらない私。

普通にメンバーの方々はフロアにいるし、橋本さんに話しかけていただけるし、座ったカウンター席はステージから50cmも離れていないし。


天国か。
この時点でカープが2-0で負けていることを除けば。


開演時間を10分程過ぎ、鈴木誠也が同点2ランを放ったころ、遂に始まるthe madrasのライブ。
これまでは対バンしか見たことがなかったので、遂に初ワンマンを拝むことができました。

ここから2時間たっぷり、カバーを含めて数々の名曲を堪能。the madrasの始まりの1曲とも言えるロストから最新曲のスパークルまで、アコースティック編成だからこそ感じることのできる曲の細部に触れながら、至福の時を過ごしました。
スミスのカバーとホールは特にグッと来た。


木下さんのアコギは時にエレキより激しかったり、逆にエレキに持ち替えた時は一音一音とても優しく響かせたり。
前すぎる席に座ってしまったため、演者と目が合わないようにほとんど下を向いていましたが、その分心地よい音に浸りきることができました。


演奏中、ふとメンバー4人の足元を見る瞬間がありました。
木下さんはサンダル、リコさんはスニーカー、橋本さんはブーツかな、そしてえらさんは裸足。
三者三様ならぬ四者四様のスタイル。
それを眺めながら、こんなにも違う人達が音楽の名の下に集い一つになっていることの素晴らしさに感じ入っていました。
異なる形が一瞬だけ寄り添い、重なり合い、そして生まれ奏でられる旋律。
バンドの醍醐味と言うか、永遠を感じると言うか、一生このバンドの音楽を聴いていたい、と心から思える瞬間。


時間はあっという間に過ぎ、終電も近づいて来ましたが、終演後、再度つけられたテレビは8回の裏、安部が勝ち越しホームランを打って5-4。
こんな試合見ずに帰れるか、と終電を諦め最後まで見届けることに。

久しぶりの中崎劇場に胃を痛めながら辛くも勝利した瞬間、お店の方と木下さんとハイタッチ。

終電もなくなったため、カウンターでお店の方とカープの話をしながら腰を据えて飲むことに。
酒に弱く、普段はほとんど飲めないのですがこの日はどんどん飲んだ記憶があります。

そうこうしている間に、アコギを持った橋本さんが隣に座り、話かけて下さって…


ここから先の事は文字にすると野暮なのであえて書かないけれど、初めてチューインガムウィークエンドを聴き、これは私のためのバンドだ、と強く感じた高校生の時の自分に、今日まで生きてこれて本当によかったな、と言いたくなる幸せな時間を過ごさせていただきました。


どんな物にも終わりがあり、それはバンドも例外ではありません。
大好きな人が大好きな音楽を奏でてくれている、という幸せは当たり前ではない、という事実をふと忘れてしまうことが多い今日この頃ですが、だからこそ一瞬一瞬を大事に、行けるライブにはなるべく行く、ということを財布と相談しながら続けていきたいものです。

the MADRAS 「awake」何千回だって目を覚ます僕らの歌

 THE CHEWINGGUM WEEKENDの傑作アルバム「KILLING POP」から約21年。
the MADRAS 8曲入りの1stアルバム「awake」を飽きることなく繰り返し聴いている。

 橋本孝志の歌声と、普遍性を持った美しいメロディーは変わらない。

 全ての曲で歌われるのは、時に輝き、時に襲い掛かってくる揺れ動く世界の中で生きる僕と君。
どの曲の主人公も何らかの孤独や喪失感、かすかな破滅衝動を内包しているが、その身を悲しみや絶望に投げ出すことはしていない。ある種の明るさ、爽やかさすら感じさせるが、それは決して諦めや開き直り、現実逃避から生まれるものではない。
 痛みを受け立ち止まりながらも、日常の中にある夢や希望といった、口に出すのもはばかられるような「光」を直視する強さを持った、どこかの街で生きる誰かを歌った歌だ。

 この作品には、元THE CHEWINGGUM WEEKENDの、といった枕詞は必要ないかもしれない。
the MADRASというバンドのことを一切知らず、どこかのレコード屋の視聴機で偶然このアルバムに出会っていたとしても、きっとすぐに好きになっていただろう、と思う。

 私は機材や楽器のことは分からないし、音楽の専門用語もからっきしだ。
それ故、音楽の判断基準はグッとくるかこないか、という幼稚な二元論に終始してしまう。
私の文章ではthe MADRASの楽曲の素晴らしさがどこから来るのか、といったことには一切言及できないだろうがそこは諦め、ストーカーから送られてくる長くて気味の悪いラブレターのようなレビューもどきをしたためてみようと思う。


 このアルバムは、the MADRASの1stにしてバンドの歴史を総括するベスト盤のような立ち位置である。だが決してライブで盛り上がるA面を集めました、という作りではなく、この曲順だからこそ紡げるストーリーがある、アルバムらしいアルバムになっている、と思う。もうその時点で嬉しい。
 レコ発ライブがアルバムの曲順を再現する形で行われたのも、このアルバムがこの形でなければいけない、ひとつの答えとして生み出されたものであるということが分かる。

 
 アルバムは音楽への愛とあなたに会える喜びを素直に歌った祝福感にあふれる「ワンダー」から始まる。
 全体を通して感じたことだが、このアルバムの持つ温かさや優しさは、木下直也というギタリストが紡ぐ音に寄るところが大きいのではないかと思う。
私がTHE CHEWINGGUM WEEKENDというバンドに夢中になったきっかけは、岩田晃次のギターであった気がする。
時にメランコリックにつま弾かれ、時に空間を突き破るかのように鳴り響く轟音に心奪われた。
そのギターはバンドを唯一無二のものとすると同時に、世界を拒絶するかのようなフィルターとして曲に覆いかぶさっていた。

 木下さんのギターは、同じ轟音でも強い正のエネルギーに溢れている。
眩く輝く白いライトに照らされ、ステージの最前でギターかき鳴らす姿がパッと目に浮かぶ。
楽曲から離れることなく、歌の中の主人公にそっと寄り添い導く音。
この音色がどうしようもなく好きだ。

 それはえらめぐみのベースと安蒜リコのドラムにも同じことが言える。
上手く言語化できないのがもどかしくて仕方ないが、バンドでしか鳴らすことのできない音がこのアルバムには詰まっている。

 そもそもこのバンドメンバーは百戦錬磨のミュージシャンばかりである。
ベースのえらさんは強烈な個を持つ大森靖子のバンドメンバーとして活躍しているし、ギターの木下さんは自身がボーカルを務めるバンドを有している。ドラムのリコさんに至ってはギター、DJにとどまらずレザーブランドまで運営している。
 様々な表現の場所をもつバンドマン。
そんなメンバーが、橋本さんの歌に集まり、サポートメンバーとして良質な演奏をただ提供しているのでなく、バンドという塊になって音を鳴らしている。
自分の中できちんと理解できていない、例えばグルーブがどうこうといった分かりやすい言葉を安易に用いるのは不誠実だろう。
ただ、これは苦楽を共にしたメンバーでしか出せない音なのだ、という確信だけがある。そう感じたのだから、私にとってはそれで十分だ。

 2曲目は「スタンド」。2016年にthe MADRASの楽曲として初めて世に送り出された楽曲。
それと同時に、調べたところによると橋本さんが音楽活動を再開して最初に行った2014年1月15日のライブで演奏された、最古の曲のうちの一つである。
ちなみにこのライブで木下さんとえらさんが所属するDots Dashと対バンしている。the MADRASの歴史はこの日から始まっていた。

 配信音源とは一部ギターが異なり、今回新たに録音されたものと思われる。
 橋本さんの楽曲でフィルム、という歌詞がでてくるものとして、ぱっと「ウォーターピストル」が思い出される。
『キズがまだつくなら 映るはずだ 切れ切れのフィルムを 繋ぎ止めた』といつかの幻から抜け出せないでいるのに対し、「スタンド」では『これは僕の夢 君と撮る映画だ』『描ける限りのシナリオ 鮮明に 鮮明に映したい』と力強く歌われている。
決して確固たる何かを持っているわけではないが、いつか、と遠くを見据え立っている姿が心強い。

 3曲目「ロスト」も「スタンド」に続き2016年に配信リリースされた曲。
好きな歌詞を書き出していたらきりがない。この曲をライブで初めて聞けたとき、本当に嬉しかったのを思い出す。
タイトル通り、何かを失い後悔にさいなまれながらも、この主人公は膝をついていない。世界が綺麗だ、と言える強さ。
『曖昧な夢に溺れるのは止めたんだ 消えたくなる夜を僕らは超えていくよ』の一節は白眉の一言。
アルバムが出る前から幾度となく聞いてきた曲だが、きっとこれからもずっとそうしていくだろう、と思う。

「ロスト」ときて続くは「ルーザー」。
この曲が一番アルバムの中で好きだ。メロディーが、歌詞が、演奏が何から何まで心の奥底まで響く。
『僕はルーザー この地球では 孤独なエイリアン 逸れてしまう』。
きっとこの主人公は、姿かたちが目に見えて他人と違う、ということではないのだろう。
完全にずれているのであれば開き直りもできるが、そうではなくほんの少しだけ世界とずれていて、その修正の仕方が分からない。
それによって抱える悲しみは、おそらく誰とも共有できない。好意を抱いている君とでさえも。

ここではないどこかで、君と分かりあえる夢を見る。きっと夢の中に居続けた方が幾分楽だろう。
しかし、違う惑星で生まれたとすら感じる世界で、目覚めてみたいと歌う、アルバムタイトルにも繋がる部分。
君が恋しいよ、と歌う橋本さんの声が胸を打つ。それは決してルーザーの姿などではない。

 一番好きな歌が「ルーザー」なら、一番ギターが好きな曲が「リアルバースデー」。
2ndシングル「ラフ」から収録された橋本さんと木下さんの共作であるこの曲は、アルバムの中で最も破滅衝動が感じられる曲だ(私にとって、と但し書きをしておきます)。
リアルバースデー、本当の誕生日と、消えたい、という感情がワンセットで歌われる。
バランスの崩れかけたねじれた感情を一気に開放するようなギターソロ。
ライブでこの曲を一心不乱にかき鳴らす木下さんは本当にかっこよかった。

6曲目は「ホール」、アルバムの中で最も抑制のきいた曲。
そして橋本さんの復活ライブで1曲目に歌われた曲でもある。
真偽は定かではないが、THE CHEWINGGUM WEEKENDの解散前、「ホール」という未発表曲をライブで演奏していた、という記述をどこかで見た記憶がある。もしそうだとすれば、2001年と2019年、バンドの終わりと始まりを直接つなぐ楽曲なのかもしれない。
そしてこれこそがアルバムをアルバムたらしめている、バンドの表情が良く見える仕上がりになっている1曲になっている。
逃げ道を塞いだ空洞の中、漂う死の香り。
全てと引き換えにして手に入れた2人だけの世界に反響する、悲しみと美しさを携えたギターの音はどこまでも優しい。
あとこの曲はCDもいいがライブがさらに素晴らしかった。
アルバムが出たばかりで気が早いが、いつかライブアルバムが出る日をひそかに待ちたいと思う。

トリ前を飾るのは「ハピネス」。
ざらついたギターから始まるこの曲は『ダメになってしまった だけどきっと続きがあるんだ』という歌いだしで始まる。
ともすれば陳腐な響きを有しかねない言葉に感動と強い説得力が宿るのはバンドの魔法だろう。
きっと続きがある。このアルバムが2019年にリリースされたのが何よりの証拠だ。
『暗闇で遊んで 光になって』という歌詞の部分が好き。
さっきから素晴らしいと好きしか言ってない気がするが、語彙力の無さはもうどうしようもない。
PVも作成されているようなのでそちらも楽しみだ。

アルバムの最後はthe MADRASの1stシングルの表題曲「デイドリーマー」。
6曲目から8曲目の流れでこの曲を聞いたことで、初めてシングルで聞いた時以上の感動を覚えた。
もうこのアルバムを聞くと「デイドリーマー」はこの位置でしかありえないとすら感じる、最後にふさわしい輝きに満ちた曲。
幻滲むオレンジ、それは現実の光か、もしくは文字通り白昼夢の中のおぼろげな光景か。

シングルのジャケットがすごく好きで、この曲をiPodに入れて、ジャケットと同じく日が落ちる前の海岸で聞いたことをふと思い出した。
『光が射して 目を覚ました』『光が充ちて 走り出した』
もちろん現実の世界に常に光が射している訳ではなく、それをずっと直視することは辛すぎるけれど、かと言って夢の世界に逃げ込むだけではどこへも行けない。
世界を探したり抜け出したり。消えたくなる夜とあなたに会える夜を繰り返し。喜びと悲しみ両方を探しながら誰かと共に歩む日々を生きていく全ての人に降り注ぐ、どこかの街で生きる僕らの歌でアルバム「awake」は締められる。


定額の音楽配信に慣れてから、私はすっかりCDを買わなくなった。
レコードは喜んで買うが、よほど好きなバンドでない限り、新譜をCDで買うことは減ってしまった。
今年買った新譜はたったの3枚。
GRAPEVINE「ALL THE LIGHT」、スカート「トワイライト」、そしてこのアルバムだ。
ただこれらアルバムは何度再生したか分からないくらいに聞いている。
音楽をデータとしてでなく、モノとして所有するということは、これまで以上に意味を持つ気がする。
私は日常をやり過ごすためのBGMや、誰かとの共通言語、消費物として音楽を聴きたいのではない、ということを改めて感じた。
人生を共にできる、それこそ死ぬ前の日でも聴きたいと感じる音楽しかもう聴きたくない。
そんなアルバムに出会えた幸せに感謝しながら、また1曲目の「ワンダー」を再生する。


やっと書き終わった...
目を覆いたくなるような痛い文章しか出てこないので書いては消し書いては消しを繰り返していたら結局リリースから1週間近くたってしまった。
しかも結局痛いままだし。
アルバムリリースを期に、プロのライターによるthe MADRASのインタビューやアルバムレビューを本当に読みたい。

tha MADRAS 初のワンマンライブのチケットはすでに確保した。
そう、目覚めたばかりなのだ。愛するバンドとの日々はこれからもきっと続いていく。
続いていってほしい、と願う。

1人ピーズ 6/8 水上音楽堂 備忘録


生きててよかった、と心から思える夜がまた一つ増えました。
ピーズの武道館が決まって、居ても立っても居られなくなり立ち上げたこのブログ、今日の感動は絶対に書き留めておかなければ。


それにしてもアビさんは最高だ。
アコースティックセットでも相変わらずギターの音がでかい。
今日確信したのは、死ぬまでピーズが、ロックンロールが好きなんだろうな、ということ。
時代はヒップホップだと言われても。
ロックは死んだと誰かが言っても。
theピーズがいる限り、なんなら演奏なんてしなくても、ハルさんとアビさんがこの世界のどこかで生きている限り、世界で一番カッコいい音楽はロックンロールだ、と胸を張って言えるな、ということを実感した次第です。


今年に入って、1人ピーズを見るのは今日で3回目。
初めては吉祥寺で頭脳警察PANTAとの2マン、2回目は大阪で台風クラブとキイチビールとの対バン。

特に2回目で、台風クラブをバックに演奏した実験4号はしびれました。
ハルさんが台風クラブの石塚さんをアビさんの匂いがする、と言っていてものすごく嬉しかったのを覚えてます。
その時感じたのは、ハルさんが音楽を続けてくれるだけで幸せだけど、やっぱりもう一度あの3人のtheピーズが見たい、ということでした。
武道館で沢山の幸せをもらったし、あれがバンドの区切りのライブだったことは百も承知だけれど、生きているうちに、またあの感動を味わいたいと強く思いました。


天気予報に反し、ライブ開始まで天気が持った上野。
物販もカラーゲ屋も長蛇の列。
特に酒を求める人はライブが始まっても途切れることはありませんでした。

今日のライブはゆるい感じかな、と思っていたし、実際入りは自然体そのものでしたが、日が暮れるに連れて客席の熱狂度が目に見えて上がっていました。
正直怖いくらい。
このヨッパライども、何かするんじゃないかというくらい熱が高まり、曲が終わるたびに万雷の拍手を送っていました。

ライブが終わり痛飲した状態ですが、覚えている範囲だと「ゴム焼き」は心に来ました。
ロマンチックゾーンで演奏された「どっかにいこー」なんて最高としか言えないかっこよさ。
何が最高か、と言われても、言語化したくてもできない。
とにかく体が多幸感に溢れるというか、脳より先に体が反応して感動するというか。
曲が比較的新しめなのも嬉しかった。ピーズは止まってなんかいないことを改めて実感します。
1曲目はハッピーバースデーな新曲。鯖読んでいたい僕とお嬢さん、というサビで女性の歓声が上がってました。
フォーリンも氷屋マイドもいい曲。アコースティックでもいいから、いつか録音して欲しいです。


そして7時を回り、すっかり暗くなった水上音楽堂で始まったアンコール。本編ではこまめに水分をしていたハルさんですが、矢継ぎ早に曲を演奏し、どんどん盛り上がる客席。カップルが前の方で踊ってたのが少し笑えました。席戻った後ずっとチューしてたし。

そして、まさかの呼び込みがかかり、アビさんがステージに上がった瞬間。
本当に、文字通り一斉に会場中の人間が立ち上がり、どんどん前に押しかけていき。
地球の重力の向きが変わったとしか思えませんでした。
古くはラフィンノーズの野音で人が押しかけ、ファンの方が亡くなられた事故もあったので少し危なさも感じたので私は席でじっとしてましたが、この熱狂は誰にも止められなかったでしょう。

そして始まる「Yeah」。
本当に久しぶりに聞きました。
武道館でも、その前の大阪野音でも演奏せず、ずっと聞きたかったピーズの原点みたいな曲。

この胸の高鳴りをなんと呼ぼうか。
この幸せを私たちみんなで独り占めできることのなんたる素晴らしさか。
皆が思い思いに手を挙げ、叫び、歌い。
今日の日は忘れられそうにありません。

そして2人で演奏される「実験4号」。
このアルバム時には既にアビさんは脱退していたにもかかわらず、この曲にはアビさんのギターがどうしようもなく必要で。
まだ2人いる、という歌詞は、今日はステージの2人のことにしか思えなくて、涙がどんどん溢れてきました。

2人ともステージ上で本当に嬉しそうな顔をしていて。
ロックンロールって、優しさの音楽だな、とぼんやり思いながらその幸せな光景をただただ眺めていました。

ラストは「グライダー」。
死ぬ前に最後に聞きたい曲は、これかも知れません。
アビさんに促され、イントロを引きだすハルさん。
この曲で、以前インタビューで言っていた、爆音でないこれからのピーズが完全に完成していたように感じられました。

曲の隙間をぬい、絶妙なギターを入れるアビさん。
今日まで途切れることなくバンドが続いていたかのような阿吽の呼吸でのギターの掛け合い。
少しくらい時間が空いても、この2人には何の問題もないのでしょう。

武道館の時と同様、ステージから降りたくなさそうにウロウロする2人。
時間が来てるから、皆なるべく速やかに帰ってね、とハルさんに促され、興奮と多幸感を抱えたまま会場を後にしました。


最後に、素敵だな、と思ったMCをメモって終わります。記憶はあやふやなので、こんなニュアンスだったな、という不完全な形ですが。
「今色んな形を手当たり次第にやってるけど、40周年、いや40周年は遠いか、35周年くらいにはきちっと見せられるから」
「これからもっとバンドをよくしたいと思ってる、時間がかかってごめんね」


こんな夜にまた会えるなら、どれだけでも待ちますとも。

grapevine 4/14 新潟LOTS 備忘録

grapevineを好きだ、という時に、何か他のものと比較する必要はない。
grapevineの好きな所をただ順番に挙げていけばいい。

捻くれて、皮肉屋で、お前ら分からんやろ、と言いたげな顔で歌い、実際に言い、曲に突拍子もないアレンジを施し、代表曲(と呼ばれるもの)はワンマンでは頑なに歌わず、MCはふわふわしていて、アンコールの時にはもう呑んでいて。

突然目を潤ませたり、子供のように笑って見せたり、やけに真っ直ぐな歌詞を歌ってみたり、信じられないくらい美しいメロディを奏でてみたり、キーボードって、ドラムって、ベースって、ギターって、そしてバンドってなんてカッコイイんだと、理屈ではなく身体がダイレクトに感じるような音を出してみたり。

私はきっとgrapevineの楽曲の真の素晴らしさや、歌詞の言わんとしていることや、背景にある芳醇な音楽や文学の歴史、それに伴う諸々のことを理解できることはないだろう、と思うし、むしろそれでいいかな、とも思う。

会いに行けるアイドルではなく、grapevineは、永久に手の届かない、だからこそ憧れが尽きない、ストレンジと王道ど真ん中を飄々と行き来する、ロックンロールバンドなのだから。

私にとってgrapevineはそんなバンドだからこそ、最後の曲で、マイクに乗せることなくありがとう、と口を動かす田中さんを見た時、なんとも言えない幸福感が込み上げてきて。
手の届かないバンドが、ふと両手を広げ、君の味方はここで待ってるよ、と歌う時、全てを信じてしまえるような気持ちになれて。

今目の前で素晴らしい音楽が鳴っている、それを感じることが出来る心さえ持っていれば。それさえあれば、他には何も。


この多幸感を携えて、少しお酒を飲んだ後、また日々の暮らしに戻る。今日の続きだけど、今日とは少し違う明日へ。

今日の記憶はいずれ日々の暮らしに埋没してしまうだろう。だから、また私は、grapevineのライブを見に行く。grapevinegrapevineの形態を取り、音楽を奏で続ける間は、こんな日々を繰り返していければ、と願っている。

最後に一つだけバンドに伝わって欲しいことは、grapevineのライブで合唱するということの精神的障壁はちょっとやそっとのものではない、ということです。まあEraのコーラスは練習しますが。