壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

grapevine 4/14 新潟LOTS 備忘録

grapevineを好きだ、という時に、何か他のものと比較する必要はない。
grapevineの好きな所をただ順番に挙げていけばいい。

捻くれて、皮肉屋で、お前ら分からんやろ、と言いたげな顔で歌い、実際に言い、曲に突拍子もないアレンジを施し、代表曲(と呼ばれるもの)はワンマンでは頑なに歌わず、MCはふわふわしていて、アンコールの時にはもう呑んでいて。

突然目を潤ませたり、子供のように笑って見せたり、やけに真っ直ぐな歌詞を歌ってみたり、信じられないくらい美しいメロディを奏でてみたり、キーボードって、ドラムって、ベースって、ギターって、そしてバンドってなんてカッコイイんだと、理屈ではなく身体がダイレクトに感じるような音を出してみたり。

私はきっとgrapevineの楽曲の真の素晴らしさや、歌詞の言わんとしていることや、背景にある芳醇な音楽や文学の歴史、それに伴う諸々のことを理解できることはないだろう、と思うし、むしろそれでいいかな、とも思う。

会いに行けるアイドルではなく、grapevineは、永久に手の届かない、だからこそ憧れが尽きない、ストレンジと王道ど真ん中を飄々と行き来する、ロックンロールバンドなのだから。

私にとってgrapevineはそんなバンドだからこそ、最後の曲で、マイクに乗せることなくありがとう、と口を動かす田中さんを見た時、なんとも言えない幸福感が込み上げてきて。
手の届かないバンドが、ふと両手を広げ、君の味方はここで待ってるよ、と歌う時、全てを信じてしまえるような気持ちになれて。

今目の前で素晴らしい音楽が鳴っている、それを感じることが出来る心さえ持っていれば。それさえあれば、他には何も。


この多幸感を携えて、少しお酒を飲んだ後、また日々の暮らしに戻る。今日の続きだけど、今日とは少し違う明日へ。

今日の記憶はいずれ日々の暮らしに埋没してしまうだろう。だから、また私は、grapevineのライブを見に行く。grapevinegrapevineの形態を取り、音楽を奏で続ける間は、こんな日々を繰り返していければ、と願っている。

最後に一つだけバンドに伝わって欲しいことは、grapevineのライブで合唱するということの精神的障壁はちょっとやそっとのものではない、ということです。まあEraのコーラスは練習しますが。