壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

進行方向別通行区分 9/9 新宿BLAZE 雑記

 

 1ヶ月前、私は新宿のライブハウスで、次が最後の曲とアナウンスされた後も延々と曲が続けられるステージを見ながら、脳裏に浮かんでしまった総理大臣の姿をかき消すために必死に踊っていた。

 

 相対性理論経由で進行方向別通行区分にドップリハマった時期があった。まずバンド名が最高であるし、音程を外しつつ意味不明な歌詞をオジサンが熱唱する楽曲群に夢中になった。と言っても地方在住の大学生であった私にとって、視聴方法はネットに上げられてはすぐ消える違法アップロード音源に限られ(かつてマイスペースSoundCloudで正規音源がアップされていたことをこの間知った、残念)、上京後もたまにディスクユニオンの棚に陳列された高額なCD-Rを眺めるしかできなかった。そして月日と共にこのバンドのことはすっかり忘れていた。
 先日、世間から周回遅れで「ちゅ、多様性」を聴いたことで進行熱が再燃。それと時期を同じくしてパスピエとの対バンがあることを知った。気にはなったが、当初は全く行ける気はしなかった。鬱で休職中の身、本当に体が1日中動かないこともある。その間、台風クラブやthe MADRAS、果てはピーズの野音すらチケットを取ったものの断念せざるを得なかった。加えて今回はどうも本当の解散ライブのようで、そこまで熱心なファンとは言えない自分が参加するのはどうも後ろめたさがあった。しかも夜の新宿をうろつくなんて想像もできない。諦める他はなかった。

 9月8日、体調、精神状態共に最悪だった。明日の予定を、生きる希望を無理やりにでも作らないとこの夜を越せないような気がした。最終的にライブに行くことを決めたのは、DJを担当する澤部さんの存在だった。澤部さんの笑顔が見られたら何とかなるかもしれない。プレイガイドにはまだチケットが残っていた。購入手続きを済ませ、薬を飲み、無理やり布団をかぶった。

 9月9日、身体は重いものの何とか歩くくらいはできそうだった。まず電車に乗ってみる、無理と判断したらすぐ帰ると決め、身支度もそこそこに家を出た。
 最近はあまり欲しいCDやレコードが無く、心のウォントリストに入れている品も値上がりの一途を辿っているため仮に見つけてもそうそう手は出ない。あてもなくフラフラとディスクユニオンを眺め、また頭が働かないためどこかの店でお茶をするという決断も出来ず、結局時間をかなり持て余し新宿BLAZEへ。会場への行き方だけは入念にシミュレーションし、間違っても歌舞伎町を突っ切ることのないよう、駅側の大通りから慎重に向かった。

 TOHOシネマズのゴジラと歌舞伎町タワーに挟まれた何もないタイル張りの広場で、御茶ノ水で買った羽生先生が表紙のBig Issueを眺める。墓石のような質感の歌舞伎町タワー、入り口の階段には何をするでもなく座る沢山の人、広場には奇声を発しながら異常に盛り上がる集団、ビジョンで延々と繰り返されるシティーハンターのCM。どん詰まり、地獄の街だ、と思った。こんな空虚な空間に来たのは初めてだった。目眩が酷くなり、諦めて帰ろうと思ったがいよいよ足が動かない。それから1時間程、私は地獄の一部と化し、立ち尽くしていた。

 ようやく開場、文字通り足を引きずるように階段を降りた。進行方向別通行区分の物販は会場内に及ぶ長蛇の列。パスピエの出番が迫っていたが、この日発売のアルバムに加え、かつて買うことの叶わなかった過去作も山のように積まれていたため最後尾に並ぶ。既に澤部さんのDJは始まっていた。ミラーボールに照らされ、自身が流す曲に身体を揺らしながらコーラを飲む澤部さんを見て、スッと心が楽になった。またアルバム9枚とライブDVDを買うことが出来、ほのかな達成感を感じた。ちょうどそのタイミングでSEが流れ始め、急いで会場に戻った。

 パスピエの曲は新曲含めある程度知っていたため、きちんとライブを楽しむことができホッとした。このメンバーがいれば何でも出来てしまうだろうな、という完璧なステージだった。いつか体調が良くなったら、ワンマンライブに行ってみたいと思う。またキーボードの方が楽しそうに体を動かしながら演奏しており、もしあれをただの仕事として仕方なくやるのであれば辛いだろうな、という意味の分からないことを考えていたのを覚えている。

 再度澤部さんのDJタイム。皆が前に詰め始めたため、スペースに余裕のある後方に下がる。流れる音楽は素敵だが、知識がなさ過ぎてどの曲もタイトルが全く分からない。一期一会だと思い直し、体を揺らしながら進行方向別通行区分を待つ。

 SEでトトロの「風の通り道」が流れ始め、歓声と笑いが同時に起きる。メンバーがそれぞれ持ち場につくが、この日初めて田中さんと真部さんの顔を知った。本当ににわかファンである。田中さんのギターチューニング音が綺麗なメロディーに被さり、それをかき消す。
 この日1番楽しかったのが、いきなり「アーケードテンプテーション」と「池袋崩壊」が聴けたことだった。意識するより先に腕が上がった。爽快さを感じたのは本当に久しぶりだった。そして私の記憶より格段に歌が上手い、演奏がカッコいい。後ろを振り返れば澤部さんもマスクの向こうで「池袋崩壊」を口ずさんでいる。来てよかった。
 その後は、語弊があるが何を聴いても一緒だった。どの曲も楽しく、かっこよく、意味が分からない。田中さんのジャキジャキストロークで曲が始まり、鉄壁のリズム隊の上で真部さんのギターがポップさを担保しながら跳ねる。1曲の中で使われる歌詞のブロックは多くなく、それもリフのように機能している。ラモーンズのライブもこんな風(に楽しいん)だろうな、と感じた。ラモーンズを熱心に聴くわけでもないので、何故そう感じたのかは分からない。
 それにしても歌詞が凄い。上手く言えないが、言葉の不完全さと言うか、言葉にする事で何かその事象を分かった気になっていただけと言うか、言葉で同じ意味を共有できるなんて幻想なんだな、とつくづく感じた。知っているつもりだった言葉が、目の前で次々と溶けてへしゃげて形を変えていく。そんな曲ばかりが矢継ぎ早に繰り出されると、もう訳がわからなくなる。「一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎 名前が同じ」と叫ぶ田中さん。同じ、ってどういう意味だったかだろうか。確かだと思っている前提が崩れる不安と、全てがひっくり返される爽快感が同時に襲ってくる。そしてたまに理解できる言葉があるとやたら耳にスッと入ってくる。「名古屋は誰かが建てた街」とか。これではまるでカルト宗教とかマルチ商法の集会ではないか。
 またこの日のライブは3ブロックに分かれていたが、出て来るたびにSEを流していた。3回目(アンコール)に「風の通り道」を聴いた時に涙が溢れた。終わってしまう、という寂しさではない。こんなに笑いながらこの曲を聴いたことがなく、曲の印象を上書きされた、新たな価値観を提示されたことに感動してしまったためだ、と思う。

 冒頭に書いたのは、次が最後の曲、という言葉が軽々と反故にされるのを見て、首相が「聞く力」「丁寧な説明を続けていく」というふざけた言葉を空虚に繰り返しているのを思い出してしまったためである。進行方向別通行区分はふざけているが、あのステージがふざけているだけで成り立つ訳がない。本気でふざける、というのも何か違う。ふざけていて、ふざけていない、揺らぎのような状態だろうか(風の通り道繋がりだと、夢だけど夢じゃなかった、のような)。芸術が(私の心の中で)醜い現実に侵食されそうなことに酷く腹が立った。同時に、絶対に負けないぞ、という強い想いで踊り続けた。
 一方で、「言葉」がない瞬間、メンバー4人がそれぞれ一心不乱に演奏する姿が強く心に残った。黒いシャツを汗でベショベショにしながらギターを掲げてかき鳴らす田中さんは最高だった。どの部分がカッコ悪くてどの部分がカッコよかったのかはもう区分できない。オジサンが必死にギターを弾く姿が反転してカッコいいと言う訳ではないし、ギターを掲げる、ある意味紋切り型のパフォーマンスがカッコ悪い訳ではないし。とにかくカッコよくてカッコ悪かった。もう何を書いているのか分からなくなってきた。
 どの曲であったかは忘れたが、曲中に田中さんが1度ギターを置き、再度抱え直したシーンがあった。その時の田中さんが何とも言えない、人生の深みを感じるとてもいい表情をしていたように見えた。散々MCで3階から落ちてくるホタテについて語っていた田中さんは、最後は黙って深々と礼をしてステージを去って行った。その姿はとても美しかった。後、あんなに演奏が凄いにも関わらず、軽音部の先輩を見ているような気にさせられるのは何故なんだろうか。曲中に田中さんがアンプをいじりに行くたびに楽しい気持ちになった。

 終演後はボーッとしてしまったが(周りの誰も帰ろうとしていなかった)、澤部さんがこんな曲が地球に存在するのか、という曲を流し始めて我に帰る。走ればギリギリ終電に間に合いそうな時間。ただ、もし走って新宿の怖い人にぶつかったら事だと思い、競歩のような状態で新宿駅を目指した。1分前ギリギリに電車に乗り込むことができたが、汗だくになっており、周りの人に申し訳なくなった。

 最初で最後の進行方向別通行区分のライブ。普段のライブとの差異や、長くバンドを追っている人の感慨などは私には分からないが、このライブに行くことが出来て本当に良かった。しかし心の底に穴が空いているため、この日の楽しさを次の日に持ち越すことは出来ず残念だった。ライブ後も辛い日々が続いているが、我が家には進行方向別通行区分のCDが9枚ある。この手焼きのようなCD-Rが、あの日私が確かに生きていたことを思い出させてくれる。夢のように記憶は薄れていくが、夢ではなかった。サツキとメイがトトロからもらったドングリの様に、これらは私の宝物だ。そして新譜の「スティーブンせがれ」は最高にいい曲だ。解散という言葉が再度反故にされる日を、ゆっくり待ちたいと思う。