壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

サニーデイ・サービス「DOKI DOKI」

 レコードが家に着くまでサブスクでアルバムを聴くのを我慢できた自分をまずは誉めたいと思う。

 前作「いいね!」は待ちきれずYouTubeでアップされてすぐ聴いてしまったし、他の好きなバンドはライブで何回も聴いた曲が遂にリリースされるというケースが最近多いため、未聴の新曲が詰まったアルバムの発売を指折り待つのは随分久しぶり。ハイロウズが好きだった高校生の頃や、再結成後のsyrup16g以来か。

 今週は特に鬱の症状がひどく、今日遂に倦怠感と頭痛に耐えられず会社を休んでしまったことで午前中にレコードを受け取ることが出来た。怪我の功名である。

 最初は歌詞カードを手に、プレーヤーの前で正座してレコード一周。二週目はジャケットやポスターを眺めながら、三週目は昼食のトーストをかじりながら。体はダルいままだし、薬を飲んでも頭痛はなかなか治らない。ただ、その身体的不調を引きずったまま、楽しいと感じられるアルバムだった。ベースで始まる曲ってやっぱりいいなとか、ドラムの音が良くて気持ちいいなとか、曽我部さんはこんな表情で歌っているのだろうな、などと考えながら、気づけば音が止んでいるレコードをひっくり返し続けた。

 再結成後の2枚はノスタルジーとしてのサニーデイを再現しようという意思があった様に思うし、「Popcorn Ballads」から「the CITY」は必要に迫られた部分もありながらバンドサウンドからどんどん遠ざかり、「いいね!」で新生サニーデイの1stアルバムが生まれた。

 それらを経て、次にサニーデイの名を冠したアルバムはどの様な表現を示すことになるのかと思っていたが、特別なストーリーや背景を必要としないアルバムだと感じた。

 シンプルでポップと言えば分かりやすいかもしれないが、何をもってシンプルか、メロディが上下していればポップなのか、そもそもポップでなければいけないのかも分かっていないため、自分の中ですら腑に落ちていない言葉はなるべく避けたい。

 追いかけるので精一杯のペースで新譜を出す曽我部さん。過去のアルバム制作時のインタビューからも分かるように表に出ていない曲も無数にあり、その中に数々の名曲が埋もれたままになっているのだろう。今回のアルバム曲も弾き語りや打ち込みのソロ名義で出せばソロ曲に、先日出た未発表曲集の曲もメンバーで演奏すればサニーデイの新曲になるかもしれない。

 現在サニーデイの曲をサニーデイたらしめるのは、曲の良し悪しやクオリティではなく、手元にある曲の中から曽我部さんが「この曲をバンドで演ろう」というジャッジのみだ。そこには確固たる理由はないかも知れないし、分かりやすい理由が提示される必要すらないように思う(それは無批判に出されたものを受け取ればいいことではない)。

 思えば私はサニーデイが好きでない時間の方が長かった。高校生の頃、サニーデイはふわふわした恋の歌ばっかりの軟弱な都会のバンドという認識だったし、ソロの初期は何がリンリンテレフォンラブだ、曽我部恵一BANDはオッサンがわざとらしく青春パンクを歌うなんてダサいと思っていた。「超越的漫画」で、あれ、この人いいのではと少し扉が開き、「DANCE TO YOU」で全開になった。それ以降は過去作のレコードを求め彷徨う長い旅が始まり、ようやく新譜をチェックすればなんとかなる所に落ち着いた。

 話が脱線したが、仮に今すぐ分からないものがあってもいつかは、ということもあるし、分からないまま終わっても何も問題ない。大切なのは、いつでも出会い直せることだと思う。そのために我が家の棚にはたくさんのレコードがある。

 裏ジャケやポスターに描かれたアルバムタイトルが「ペンギンホテル」の時の絵も可愛らしいが、メンバー3人のジャケがとにかくいい。メンバー皆が笑顔で、という時間が永遠でないことは嫌と言う程思い知った。バンドの良き時間が記録された、それだけで十分素晴らしいことだと感じる。

 今一番好きなのは、やはりPVを繰り返し観た「風船讃歌」だろうか。「青春狂走曲」でそっちはどうだ、と遠くから呼びかけていたバンドが、あなたの側で歌をうたってあげたい、となるに至った時間や時代に想いを馳せてしまう(ストーリーはいらないと書いたが、勝手なストーリーに組み込んでほくそ笑むのも一つの権利だと思う)。

 サニーデイはかつて「あの伝説のバンド」に収まるチケットを持っていた。これからはアンチドラマティックにライブと制作を繰り返していくのだろう。これからライブに足を運べる機会がどれくらい残されているか分からないが、どこかの街に今日もサニーデイがいる、ということはかけがえのないことだろう。

 いつまでたってもドキドキしてたいんだ、と歌う銀杏BOYZの「なんとなく僕たちは大人になるんだ」を部室で聴いていたあの頃から十数年。なんとなく、ではなく苦しく辛い時間を繰り返して年齢だけ重ねてきたが、ドキドキしていたい、という気持ちはまだ少しだけ心の隅に残っている。