壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

サニーデイ・サービス「風船讃歌」

 リキッドルームでアンコールの最後に聞いたこの曲。曽我部さんが歌い出した瞬間、頭の中でGOING STEADY「童貞ソーヤング」のイントロのギターが鳴り出して思わず笑ってしまった。バンド最高と言わんばかりの演奏と、曲の後半にはもう一緒に歌えてしまいそうなスッと入ってくる歌詞。〇〇みたい、となんでも紐づけるのは良くないが、ニューアルバムのタイトルも相まって曽我部恵一BANDの頃の曲のように感じた。楽しくライブを締めくくるにはうってつけの曲だったが、新たなアンセムかと言われると、サニーデイは他にもいい曲沢山あるしなー、というのが終演直後の感想だった。

 スマホの速度制限がかかっていたため、PVを見れたのは次の日の夜家に帰ってから。映像と歌詞を見ながら聞いたその曲に、昨日とは全く違う衝撃を受けた。歌詞が入ってくると言っておきながら、風船が命を指していることすら全く気がつかなかったことが恥ずかしくなった。

 天使は飛べないし、慰めすら相手に届かない。歌をうたってあげたいな、という一節は、勇気を与えたいというどこか傲慢な物言いとは全く異なる、歌が無力であることを十分に知りつつ、それでも、という意味だと受け取った。そして「アンセム」が「讃歌」という意味であることを初めて知った。何となく名曲とか代表曲とか、フワッとしたイメージしか持っていなかった。演奏もメンバー以外の音が入って、ライブで聞いた時よりもサニーデイらしい音源だと感じた。

 昔「天使」って曲があったんだよ、とかこの人が新しいサニーデイのドラムなんだよ、などと妻に話かけながら何回もリピートしていた時、「あなたも曽我部さんが歌っているように、毎日が幸せだってことを少しは思い出して欲しい」と言われ、この日2回目の衝撃を受けた。

「だれでも知ってることさ いちばん大事なことさ だけどすぐにそれを忘れてしまう 忘れてしまう!」を受けてのことだが、妻に言われるまでこの歌詞が全く頭に入っていなかった。というよりも、この箇所が何を指しているか思い浮かんでいなかった。

 日々楽しいことはあるはずなのだが全く思い出すことができず、浮かぶのは増幅された辛い記憶ばかり。ここ最近は政治や将来のことを悲観し塞ぎ込むことが多く、妻に心配をかけていたことを改めて知り申し訳なく思った。

 精神状態が悪いと音楽は救いどころかノイズにしかならない時がある。動かない体を引きずってようやくレコードを回しても、頼むから放っておいてくれとすぐ音を止めてしまうことが幾度となくあった。音楽を受け取るには健康な精神が必要であることを、このコロナ禍で思い知った。リキッドルームのライブも十全に楽しめたとは言えない部分もあり、以前のようにライブや音楽が好きとは言えなくなってきた。それでも、サニーデイのライブを見たことを今後なるべく思い出せるようにしたい。サニーデイも曽我部さんのソロもフットワークが軽く、あなたのそばに行き、を体現した活動をしている。スーツに羽を隠した天使は、もしかしたらいつもそばにいるのかもしれない。雑踏の中、雑音でかき消されてしまいそうな、それでも確かに近くで鳴る音楽に気がつけるような自分でいたいと強く思う。

 そして今晩にも新譜が配信される。楽しみだが、なんとかレコードを買うまで聞くのを我慢したい。何となくだか、初めてブルーハーツを聞いた時の感動のようなものが、このレコードに詰まっている気がしてならないのだ。