壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

山川直人「はなうたレコード」生活と孤独、音楽とコーヒー

8月も終わりのある日のこと。

朝7時、燃えるゴミを出すために外へ出た時、今年初めて「夏」を感じた。

夏というか、夏休みの匂いというか。

普段の出勤も同じ時間帯だが、その時は疲労以外なにも感じない。休日の開放感が手伝い、サンダルのまま近所を少し散歩した。

日中とは違う心地よい暑さ、セミや鳥の声、そして脳内のラジオ体操の記憶と直結する匂い。

今日は私の夏休みにしよう、と決めた。

そうとなればダラダラしてはいられない。

すぐ部屋に戻り、寝巻きを着替え、最近読めていなかった山川直人さんの本を持てるだけテーブルに持ってきた。

レコードプレーヤーに、ボブ・ディランではなくeastern youthのレコードをセットして(山川さんの漫画を読む時、いつも私の頭の中でeastern youthサニーデイサービスの音楽がかかる)。

コーヒー豆などはないので、1L100円の無糖コーヒーに牛乳をたっぷり入れたカフェオレを準備して。

「赤い他人」から「写真屋カフカ」まで、時系列順に一日かけて堪能し、最高に充実した一日となった。

 

山川さんの漫画を知ったのは昨年、web上で読める「はなうたレコード」で。可愛らしい絵柄が気に入り、月一の更新を楽しみにしていた。

「コーヒーもう一杯」というタイトルは聞いたことある、というレベルの、とてもライトなファンであったが、下北沢で開かれていた個展で「隣のテーブル」という4ページの短編の原画を見て、「好き」の度合いがギアチェンジした。

一本一本手書きされたテーブルや壁の模様に圧倒された。そして、孤独を前に叫ぶこともできない主人公の姿を見て、これは私のための漫画だ、という強い感銘(月並みな表現ではあるが)を受けた。

早く色々な話を読みたい。ネット、実店舗問わず、書店や古本屋で単行本を血眼で探し、つい最近ようやくあらかたの本を集めることができた。

 

先に私のための漫画だ、と書いたが、励まされたり癒されたり、人生に寄り添ってくれる漫画、という表現はあまり当てはまらない。

ただそこにあって、それだけでいい、という、素晴らしいロックを聴く感覚。もの言わぬ友、という言葉が今の所一番しっくりきている。

 

「古き良き」をエモーショナルに美化するでもなく、冷淡に突き放すでもない。それでもページからあふれてくる優しさは、「街」の目線によるものではないか、と感じる。

大都会ではなく、かと言って田舎でもない、漫画家も犯罪者も宇宙人も暮らす街。街はそこに住まう人間を選別しない。彼らの生活を許容し、眺め、それを映し出す物語の数々。

その優しさが顕著にあらわれるのが、喫茶店の描写である気がする。カウンターでマスターと話す人、談笑するカップル、一人で本を読んだり、何もせず窓の外を眺める人。皆思い思いにコーヒーを飲み、時折関わり合ったり、関わらなかったり。コーヒーが空になれば、それぞれの帰路へ。店に入る時も出る時もカランコロンと鳴るドアの鈴。

孤独を選べる幸せと、誰かといられる幸せと。漫画で描かれる街や喫茶店は、まるで止まり木のように、生活にいささか疲れた私たちの羽を休ませてくれる。

 

コーヒー、喫茶店、レコード、古本屋。この街の中、私も登場人物たちとどこかの交差点ですれ違ったりしているのではないか、などと考えながら、1ページ1ページを大切にめくる。最後まで読んだら、もう一度最初のページから。やっぱり山川さんの漫画は、とても大切なレコードと同じだ。

 

山川さんの漫画はスターシステムをとっており、「はなうたレコード」のカップルの豆太君ときな子ちゃんも、名前を変えて他の漫画に登場する。

「はなうたレコード」の源流は、「赤い他人」の中の短編「シアワセ物語」に見られる。そこから彼らを主役とした「シアワセ行進曲」へと繋がり、その生活は「道草日和」でもリメイクされている。そして、「ぼくはきみより頭がいい」に収録された「ひとりあるき」や「ネコときみ」にも、別れるカップル(を演じる?)彼らの姿がある。

 

豆太君は漫画家で、単行本が一冊だけ出ている、という設定から、「あかい他人」を出した頃の若かりし山川さんを投影しているのでは、と考えるのは野暮か。しかし、作者の人生が滲み出るのも創作物の常だと思うので、そうだったりするのかも、と勝手に思いながら読んでいる。

 

豆太君がRCのレコード(シングル・マン)を買って、お昼を食べるお金がなくなる所がとても好き。体育座りで歌詞を見ながらレコードを聴くのは「シアワセ行進曲」の描写と同じだし、時が流れても彼はそのままというか、どんな時代にも彼は生きているんだな、と思う。

 

きな子ちゃんが友人から結婚の話をされ、劇中でも現実と同じ時間が流れていることにハッとする。このままでいたい、というささやかな願いは、どうやっても今までとは同じ、というわけにはいかなくなった世界を考えると、とても眩く感じられる。

ただ、いくら変化を強いられる世界であろうとも、今の幸せな時間が続くように、という願いを待つことまで否定される謂れはないはずだ。

 

ここまで書くのに2週間経ってしまった。もう少し書きたいことがあったはずだが、これ以上とっ散らかるのもよくないので、とりあえずここまで。

9月も早1週間過ぎた今日、我が家にはボブ・ディランのレコードがある。amazonで購入したThe Freewheelin' Bob Dylan。ジャケットにはボブ・ディランとスージー・ロトロ。

永遠を切り取った、冬の街で寄り添う2人のジャケットが、「はなうたレコード」にはとても良く似合う、と思う。