壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

山川直人「はなうたレコード」

 以前、webで連載されていた時に一度駄文をしたためたが、単行本になったのであらためて感想などを書ければ。

 やっぱり手に取ってめくることができる紙の漫画はいいな、ということをまず思った。音楽も漫画も配信は便利だし、配信だから愛着が湧かないなどと言うつもりはない。モノはかさばるし、時に所有欲が先走り本質から外れてしまうことも。そもそも山川さんの漫画に会ったのはネットの海の中だ。

 ただ、好きなレコードや漫画は、理屈ではなく手元にあって欲しい。愚かと言われればそうだが、それくらいの愚かさはこんな世の中では許容範囲、かわいいものだろうと開き直りたい。

 

 まず表紙をじっくり眺める。1話の最後のコマと同じく、コーヒータイムを楽しむ2人が描かれている。最初はコマにそのまま着色を施したのかな、と思っていたが、所々違う箇所がある。1話ではペアのコーヒーカップだったのが表紙ではそれぞれ別のカップだったり、部屋の隅にボブディランの「欲望」のレコードが置かれていたり。 

 側から見れば間違い探しのような、代わり映えのない毎日。そんな暮らしを、好きな人と繰り返すことができるのは、幸せと呼んで差し支えないだろう。そういった日々を記録した一冊だ。

 話と話の間には、名盤ジャケットのパロディ画とスケッチの様な挿絵が。あとがきでも触れられていたが、はなうたとスケッチは似ているのかもしれない。メロディや主線という、正しくなければいけないという概念にとらわれない自由さ。他に思い浮かぶのは散歩だろうか。どこに行っても行かなくてもいい自由。

 

 漫画の中には、数々のレコードが登場する。小室等RCサクセション友部正人小坂忠、あがた木魚、岡林信康吉田拓郎かぐや姫高田渡… 

 レコード屋にあるのはJohn ColtraneThelonious Monkだろうか。大滝詠一YMOの7インチも並べられている。豆太の家の押し入れからは「HOSONO HOUSE」が出てきた。中古で値上がりしているレコードなため、とても羨ましく思ったり。こういった細部をじっくり読めるのは楽しい。

 本作は、「あかい他人」の一話である「シアワセ物語」や、「シアワセ行進曲」と同じく同棲カップルを描いた作品である。2012年にも「卓袱台のある部屋」(道草日和に収録)が発表されており、コーヒーやカメラと並んで、根底に流れるテーマの一つなのだろう。 

 山川さんが20代の時の作品「シアワセ行進曲」では、豆太(こちらは幹太であるが)は時に自由を謳歌し時に持て余す「若者」として描かれている。恋人と青春の日々を過ごしながらも、漫画や二人の関係と言った未来に漠然とした不安を覚えたり、取り戻せない過去の出来事がよみがえる夜があったり。

 一方で、「はなうたレコード」の豆太も若き漫画家だがあまり焦りは感じられない。漫画のアイデアをなんとか捻り出した後は本を読んだりレコードを聞いたりで悠然としている。このキャラクターの変化は、山川さんが歳を重ねたことと無関係ではないような気がする。歌手が若い頃に作った歌をベテランになってから歌うと、アレンジが変わって別の味わいがあるように。

 あの頃は良かったという作り物のノスタルジーや、何でもないようなことが、という幸せを押しつけてくる作品ではない。今日も続いてゆく、人間の生活の「記録」だ。感染者は何人だ、観客の上限は何人だと、ほっておけばただの数字として処理されてしまう。命はオリンピック会場の背景か?違うだろう。それぞれの街で営まれる、体育座りでレコードを聴く生活以外に守られるべきものがあるだろうか。この漫画を読むと、いつもeastern youthのアルバム「2020」が脳内で流れる。

 ページをめくり、奥付の後にある白紙の数ページを眺めると、少し寂しい気分になる。本棚から別の山川作品を引っ張り出し、また読む。

 

 何故こんな時間にブログを書いているかと言うと、ワクチン接種のため休みを取ったからだ。これも記録。