壊れる少し手前の永遠

好きなバンドについて書いていこうと思います。

私を構成する42枚

1.台風クラブ「火の玉ロック」
一生聴くだろうな、という音楽。

2.チューインガムウィークエンド「killing pop」
人生の中で一番長く探し、恋焦がれたCD。

3.THE BLUE HEARTS「LIVE ALL SOLD OUT」
中学生の時に友達に教えてもらった、ロックへの入り口。

4.Theピーズ「リハビリ中断」
あなたにとってロックとは、と言われたらこれ。

5.eastern youth「365歩のブルース」
心の一番深い所で支えになっているバンド。

6.台風クラブ「初期の台風クラブ
カーステレオに入れている、人生で一番繰り返したCD。

7.THE HIGH-LOWS「バームクーヘン」
高校時代の根幹を成すCD。

8.岡村孝子「After Tone」
母が好きで、きっと私が乳児の時から聞いていたCD。

9.神聖かまってちゃん「友達を殺してまで」
「自分のバンドだ」と思えた初めてのバンド。

10.小田和正「自己ベスト」
風邪を引いた時、いつも枕元でエンドレスで流していた。

11.syrup16g 「delayedead」
「翌日」はいつも心のどこかで鳴っている。

12.真島昌利「人にはそれぞれ事情がある」
図工の授業で、このジャケットを使ってTシャツを作った記臆がある。

13.GRAPEVINE「SING」
バインで1枚選ぶならこれ。大好き。

14.ART-SCHOOL「REQUIEM FOR INNOCENCE」
アートで1枚選ぶならこれ。生きていてくれるだけでいい。

15.スピッツ「スーベニア」
初めてスピッツのライブに行った時の新譜。

16.night flowers「Wild Notion」
タワレコの視聴機で雷が落ちた、こんな歌が聴きたかった、が詰まってるCD。

17.おとぎ話「CULTURE CLUB
おとぎ話から離れられなくなったきっかけ。

18.曽我部恵一「超越的漫画」
これを聴かなかったら、今も曽我部さんの歌は好きじゃなかったかも。

19.サニーデイ・サービス「いいね!」
オッパーラでのライブは一生の思い出。

20.桑田佳祐TOP OF THE POPS
クリスマスプレゼントに買ってもらった。

21.奥井亜紀「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」
小さい時に見たアニメの曲はずっと残るな、という代表例。

22.EGO-WRAPPIN「ROUTE 20 HIT THE ROAD」
妻と付き合っていた時に、ライブの予習としてかなり聴き込んだ。

23.川澄綾子「Primary」
先が全く見えない大学生時代、川澄さんの優しい声しか聴けなかった。

24.能登麻美子「MAMIKO NOTO CHARACTER SONG COLLECTION」
上に同じ。かまってちゃん以外のバンドが全く聴けず、まるなびばっかり流していた。

25.New Radicals「Maybe You've Been Brainwashed Too」
辛かった大学院時代、歌詞は分からないのに直接心に入ってきた1枚。今も英語が全く分からない。

26.LAZY LOU's BOOGIE「いつもそこに君がいた」
YouTubeで一番聴いたかもしれない曲。

27.フラワーカンパニーズ「世田谷夜明け前」
「永遠の田舎者」が好き。

28.SCOOBIE DO「Beautiful Days」
「ラストナンバー」が好き。

29.Jonathan Richman & The Modern Lovers「Modern Lovers 88」
松永良平さんの本がきっかけで好きになった。

30.the MADRAS「awake」
数少ない好きな現行バンド。

31.村下孝蔵「初恋」
父がカーステレオでずっと流していた。

32.銀杏boyz「DOOR」
部室で流し、先輩とずっと踊っていた。

33.Teenage Fanclub「Songs from Northern Britain」
「I Don't Want Control Of You」が好き。

34.岡村靖幸「はっきりもっと勇敢になって」
初めて自発的に聴いた岡村ちゃんの1曲。

35.off course「この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド 2」
「別れの情景(1)」が好き。

36.相対性理論「シフォン主義」
凄く好きになり、友達に勧めまくった。

37.beady eye「BE」
大学院修了記念に横浜にライブを観に行った。

38.奥田民生「LION」
「スカイウォーカー」が好き。

39.the pillows「MY FOOT」
初めてリアルタイムで買ったピロウズの1枚。

40.pealout「WILL」
お年玉を握り向かったゲオのお正月セールで見つけて嬉しかった。

41.槇原敬之「Completely Recorded」
小田和正といっしょに、昔本当によく聴いた。

42.Blue「One Love」
中学時代、部活仲間が聴いていて、英語の歌なんて大人だな、と思った曲。

これとは別に、自分のお小遣いで初めて買ったCDで、プレイヤーの前でこれは失敗したと思いながらも何回も聴いたnobodyknows+の「Do You Know?」もある意味思い出の1枚かも。

もっとカッコつけた一覧にしたかった気持ちもあるけど、自分を構成している音楽、と考えると大体こんな感じになる。振り返るとどの時代もずっと辛かった気がするけど、音楽のことを考えるのはやっぱり楽しい。

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台風クラブ(とその周辺)の思い出(3)

初めてリアルタイムで聴けた台風クラブの新曲「火の玉ロック」は思い出深い。とある事情で本気で死にたい程落ち込んでいた夜、突如youtubeにアップされたPV。あの瞬間感じた気持ちはもう思い出すことが出来ないし、あの日であっても言語化は出来なかっただろう。ただ、曲を聴いて気持ちが晴れやかになったと言うよりは、落ち込んだまま次の日を迎えるための活力を与えられたように思う。以前見た時と伊奈さんの髪型がすっかり変わっていたのも面白かった。wifiが切れていることに気が付かぬまま文字通り朝まで繰り返し見たため、1日で通信制限がかかった。寝不足だし、前日に慣れない革靴を履いて歩いたため足も引きずる程痛かったが、まあそれでもいいか、と思えた。

2019年はかなりライブを見に行った年だが、その中でも台風クラブには可能な限り足を運んだ。

移転前のファンダンゴに、ピースのはるさん、キイチビール&ホーリーティッツとの対バンを見に行った。あの日のはるさんは気怠げでかっこよく、名状し難い色気があった。最前列に微動だにしないお姉様がいたが、ライブの最後にそこを目掛けてはるさんが倒れ込んで行ったのを覚えている。丸くなることのない、良い意味でのチンピラさに興奮した。
台風クラブは新曲「火の玉ロック」を演奏した。この日だったかは定かでないが、アウトロをもう一度繰り返し、最後にシンバルを叩かない終わり方をするアレンジが1番好きだった。途中はるさんと貴一さんがステージに上がりセッションが始まった。はるさんは台風クラブを「クラッシュみたいな曲があると思ったら、色んなコードがあったり、どういう若者なんだ君たちは」と評していた(うろ覚えだが)。皆で「いんらんBaby」と「実験4号」を演奏。この頃はバンドセットでピーズの歌を聴く機会がなかったため嬉しかった。はるさんが「元気がある曲とない曲、どっちから演るんだっけ?」と問い、「元気な方からです」と貴一さんが答え「実験4号」が始まって驚いた。あの曲は元気がある方なのか。終演後「火の玉ロック」の7インチを購入。まだプレイヤーは持っていなかった。

ファンダンゴから日を置かず、名古屋でおとぎ話との対バンへ。この日が私にとって平成最後のライブだったかもしれない。おとぎ話も見たい見たいと思っていたが中々タイミングが合わなかったため、嬉しいライブだった。「COSMOS」最高だったなー。開演前にレコードショップzooに立ち寄り「セレナーデ」の7インチを購入。レジのお兄さんもライブに行く予定だ、と言っていた。この日は敢えて最後列でライブを見たが、出囃子が鳴り、皆がステージに向けて歓声をあげる中、誰も後ろにいるメンバーに気づかないような雰囲気が印象に残っている。終演後もう1枚「火の玉ロック」の7インチを購入。

ライブ後もカウンターでお酒を飲み談笑できるお客さんがとても羨ましかったのを覚えている。演奏が終わった後のライブハウスに私の居場所はない(まあ自分で作らない限り居場所なんて生まれないことは分かっているつもりではあるのだが)。ライブ中に一瞬忘れていた孤独感が利子をつけて戻ってくるような感覚がいつも付き纏う。それは今でもあまり変わらず、コロナ以降はライブの楽しさよりもその後の孤独感の比重が大きく感じられ、少しずつライブから足が遠のいている。まあ行けるうちにライブに行っておいて良かったと思う他ない。この年、フジロックの数日前に転勤が決定。フジロック終わりのヘトヘトの状態で荷造りをした。関東圏に異動になり、私のライブ通いは加速する。

台風クラブ(とその周辺)の思い出(2)

流石にボブディランを見ない、という選択はできなかったため、フジロック前にもう一度台風クラブのライブに行くという結論で落ち着いた。

6月頃だったか、新潟でどついたるねんとの対バンがある事が分かった。開演時間が遅めで、最後までいると終電に間に合いそうもなかったため、台風クラブのステージだけ見て帰ることに。開演までゴールデンピッグ近くのパブ的なお店で飲んでいた。いつも通り1人カウンターで所在なく、お店の人が話しかけてくれたことがやけに嬉しかったのを覚えている。

ライブハウスに着いた時、お客さんはステージ前2列のみ、10数人くらいしかいなかった。後方の物販には台風クラブが3人が店番。誰も見向きもしていなかったため、最初はそっくりなスタッフの方がいるのかとすら思った。CDを買いサインを貰う。石塚さんの手の込んだサインに驚く。「フジロック、やっぱりボブディランの裏ですか?」「そやなー」といった会話をしたように思う。サイン後、CDのシュリンクを山本さんが上手に戻してくれた。この時も曲と曲名が一致しないレベルだっだが、「2013年のピンボール」を聴いた覚えがある。「台風銀座」のワンツーの所で、なんだか気恥ずかしくて上手く腕を挙げられなかった。投げやり、逃避、開き直り、そこから滲み出る隠しきれないポップさ。3人編成の佇まいも愛するtheピーズを彷彿とさせる。このライブで、台風クラブをすっかり好きになっていた。

その後、ボブディランのステージはトリでないことが判明。これで後顧の憂いなく台風クラブを見ることが出来る。2018年のフジロックは更にもう1人同期を誘い3人で行けることに。1人の2016年は車中泊、2人の2017年はテント。今回は奮発して宿を取ったが、通された3人部屋は良く見積もって物置、普通に見れば扇風機が置いてある独房だった。それでもテンションが下がることなく皆で爆笑できたのはフジロックの魔法か。思えば私の青春は10代ではなくこの頃だった(同時に仕事のストレスにより精神状態は悪化の一途を辿ってはいたが)。

この年は朝イチで見たグリーンのeastern youth、夕暮れが美しいホワイトでのエレファントカシマシ、最後の最後で見たT字路sが印象に残っている。またボブディランのステージは忘れられない。アレンジを原曲から変えまくっていると聞いたため、直近のセットリストを確認しかなり予習をした。終演後の自信に満ち、ふてぶてしさすら感じる立ち姿のボブディランに感動した。とっくに伝説の存在が、カッコつけながら転がり続ける偉大さと可笑しさこ一端に触れた。余韻覚めやらぬまま、すぐに苗場食堂に移動。前年まではあまり見なかった椅子の場所取りが多く、少しもやっとした。

この時が、2023年現在まで私が見た台風クラブのライブの中で1番盛り上がっていた。苗場食堂のステージに柵などなく、最前で見ていたが危険を感じる程のモッシュの圧を受けたが本当に楽しかった。コロナ前、皆が飛び跳ねる中でなんの気兼ねもなくワンツーと叫ぶことができた。すごかったですねー、と隣にいた女性と少し話す。思えばあの方は岡村詩野さんだった気もするが、今となっては分からない。終演後誰かがTwitterに上げた写真に、満面の笑みを浮かべ腕を挙げる私の姿があった。

台風クラブ(とその周辺)の思い出(1)

体調が悪く会社も休んでしまったので、せめて楽しかった過去の思い出に浸ることにする。

台風クラブのライブに行くことになった理由は大きく分けて2つで、その1つは2017年のフジロックサニーデイサービスを観て最高だと思った事に端を発する。

2016年に初めて行ったフジロック。天国はここにあったんだ、と本気で感じた。誇張ではなくその後1年間はその余韻でなんとか生き延びた。次はこの喜びを誰かと分かち合いたい、と職場の同期を半ば無理やり誘って(チケット代を全額出すことで何とか交渉が成立した)次の夏を迎えた。
同期の希望を最優先し途中でグリーンステージのRADWIMPSに移動したためサニーデイは途中までしか見られなかったが、「苺畑でつかまえて」が素晴らしかった。同期が「このバンドいいね」と言ったのがとても嬉しかった。

その余韻冷めぬまま1ヶ月後の野音に行き、私は完全にサニーデイ最高モードに入った。次はライブハウスでこのバンドを見たい、という思いを強くしていた。

もう1つのきっかけは、2018年に行われたエレファントカシマシの30周年記念ライブに行ったことだ。終演後は東京で1泊、次の日にCDショップ巡りを予定していたが、そのライブで意気投合した若者と行動を共にすることとなった。向かったタワレコ(新宿か渋谷か覚えていない)で「CDショップ大賞」と書かれたポップの下に、台風クラブのCDが並べられているのを見つけた。

名前は知っていたものの私は食わず嫌いをする傾向が強く、なんとなくジャケットが気に入らないという理由で聞いていなかった。彼に「このバンドどうですか?」と聞かれ、何故か私は「渋くてなかなかいいよ」と口走ってしまった。知ったかぶりをしたかったのだ。彼はその言葉でCDを購入したため、非常に焦ったのを覚えている。次の店への移動中の会話で「台風クラブのCDは持ってるから、今はレコードを探しているんだよね」と更に嘘を重ね傷口を広げ、実は聴いたことないんだ、とはもう言い出せなくなった。

御茶ノ水ディスクユニオンに移動し、私たちは「それ」に出会った。彼が壁を指差して「台風クラブ、レコードありますよ!」と嬉しそうに言った。今思えば2ndプレス盤が入荷された頃だったのだろう。CDより更にダサいジャケ。何故色違いがいくつもあるのか?全く欲しいとは思えなかったが、話の辻褄を合わせるためは買う他なかった。2017年に土岐麻子さんの「PINK」がきっかけでレコードに興味を持ち始めたが、プレイヤーを買うのは2019年末になってからだった。レコードを聴く術がなかった当時の私にとって、台風クラブのレコードはまさに無用の長物だった。今ではあの日の出会いに本当に感謝している。あれから5年、彼は今も台風クラブを聴いているだろうか。

家に帰ってから台風クラブのことを調べた結果、1ヶ月後にサニーデイと対バンをすることを知った。会場は下北沢シェルターサニーデイを観るには相応しいライブハウスだとは思ったが、下北沢の街、そしてライブハウスは当時の私にとってあまりにもハードルが高かったし、何より夜の東京をウロウロするのが怖かった。しかしこのライブは昼スタート。昼なら何とかなるかも知れない。しかもこの日の夜、ずっと好きだったチューインガムウィークエンドのボーカル、橋本孝志さんのバンドthe MADRASのライブが下北沢251で行われることが分かり胸が高鳴った。サニーデイMADRAS、これはもう下北沢に行くしかない。夜は怖いが寄り道せず駅に直行すれば何とかなるだろう。当然シェルターはとっくに売り切れていたが、どうやったかのかは覚えていないが(当日券かも)チケットを手に入れることが出来た。

満員のシェルター、人垣の隙間からわずかに見えるステージ。台風クラブがそこにいた。ぶっきらぼうな喉声から滲み出るポップなメロディ。2マンは珍しく、こんな長い(時間の)ステージは初めてだと言うボーカル。その時のお目当てはサニーデイであったため一目惚れまでは行かなかったが、いいバンドだなと思った。曲名を全く知らないで観に行ってしまったが、「夜行」「一乗寺」を聴いた記憶がある。サニーデイも3人編成でステージに上がった。台風クラブに影響を受けて作った、と「Tシャツ」を演奏していた。ドラムの丸山さんは活動を休止しており、サポートメンバーが入っていた。フジロック野音とはまた違う、いい意味で粗暴なサニーデイ。粗にして野だが卑ではない、という言葉がよぎった。物販でサニーデイのTシャツを買って会場を後にした。その後下北沢251でthe MADRASのライブを観終え、持参した「キリングポップ」のCDにサインをもらい、本当にいい一日だったと記憶している。

そして2018年のフジロック。初めて観られるボブディランに胸が高鳴る日々を過ごしていたが、台風クラブも苗場食堂に出るという。このバンドとは縁があるかも、と思ったが1つ問題があった。この時点でタイムテーブルは公開されていなかったが、過去の傾向から苗場食堂にラインナップされたアーティストの並びからある程度の出番順及び時間は予測できた。ボブディランはトリと予想されるが、そうなると台風クラブと被りそうなのだ。流石にボブディランに行かないという選択肢は厳しいがどうすべきか。難しい選択を迫られることとなった。

台風クラブ 3/25 京都ソクラテス 備忘録

備忘録と言っても既にセットリストや細かい諸々は覚えてないが、ライブ中極力雑念を持たぬよう努力し、結果とても良い時間を過ごせた、ということだけ書き記しておこうと思う。

開演前、ワクワク感とは少し違う緊張感に囚われながらエンドレスで流れる若かりしラフィンノーズのようなSEに身を揺らしていた。これまで台風クラブのライブでは新曲の歌詞を聞き取りたいとか全てを見落としたくないと気負い、その結果ライブ中に不要なことを考えて落ち込んでしまうことが多かった。今日はフジロックの苗場食堂の時のように、ただ音楽を楽しみたい、と別のベクトルで気負った状態だった。そういえばステージにはいつものダンボールではなく、台風クラブと書かれた新しいフラッグが掲げられていた。

目標は概ね達成できたと思う。ひっぱ叩かれるドラムやコードチェンジする指の動きを目の前で眺めることができ幸せだった。体を揺らし、時に目を瞑りながらやかましい音に浸った。「台風銀座」で体から勝手にワンツーの声が出るあの感じはいつ以来だろうか。幕間にステージで皆が楽しそうに煙草休憩をしている姿を眺めている時にいつもの孤独感、居場所のなさが一瞬よぎったが、私があこがれる人の仲間になれることはこれからもずっとないだろう、もうそれで構わないと今日は思うことができた。
久しぶりに「ダンスフロアのならず者」が聴きたかったな、とか多少の心残りはあるものの、今日が私にとって最後の台風クラブのライブになっても納得できる、何かにけりをつけられたような日になった。他のものに例える必要もないのだが、ピーズの武道館を見た後の気分に近かった。大切だったものを順繰りに手放していくような生活の中で、台風クラブとすれ違うことができて良かった。とろけたバスドラの形と、終演後もしばらくステージ上で倒れていた伊奈さんの姿を、ずっと覚えていたいな、と思う。

普段なら物販でレコードを買い、高いテンションを維持した勢いでメンバーの皆さんにサインをねだる所だが、今日は全ての感情を胸にしまったまま誰にも渡したくない、誰とも話したくない気分だったためすぐ会場を後にした。

京都の静かな、今にも雨が降りそうな夜は散歩にうってつけだった。熱を持った体がゆっくりと平熱に戻り、街の一部になっていく。前から行きたいな、と思っていた「深夜喫茶しんしんしん」まではまあまあ距離があることが分かったが、向かいにドキュメンタリーでメンバーと須藤さんが話し合いをしていた「きくた」もあることが判明したため、まずはそこを目指すことにした。

「きくた」は満員のお客で賑わっており、なんとかカウンターに一席分スペースを作っていただいた。お通しのポテサラ、おでん、豚キムチと塩鮭をつまみながらビールを飲む。どの料理もすぐ出て来て、どれも体に染み込んでくる美味しさだった。もちろんここでも一人なのだが、他のグループが楽しく飲んでいる中でも、孤独を孤独のままで置いておいてくれるような優しい雰囲気を持った店だった。また再訪したい。

小一時間後、河岸をかえ「深夜喫茶しんしんしん」へ。細い階段の奥にある(なんだかこの時点でワクワクした)扉の向こうはここも満員、カウンターの一席が空いているだけだった。入り口の上には坂本慎太郎と青葉市子のレコードが飾ってあった。京都大学が近いせいか若い人が多かった。職場、恋人、そして未来の話が飛び交う店内で、ライブ会場でもらった「台風の目」を読みながら、静かにコーヒーと抹茶のパウンドケーキで夜遊びを楽しんだ。机にあった自由帳に目が留まりページをめくる。自由帳の名の通り様々なイラストや、若人の瑞々しいと言ったら失礼な、しかし年寄から見れば眩しい恋の悩みなどが書き連ねられていた。眠れぬ夜、次の朝を手繰り寄せようとしながらカウンターでコーヒーカップを持つ知らない誰かに思いを馳せる。

ソクラテス、きくた、しんしんしん、どこも紫煙が薫っていた(薫る自体に煙が、の意味を持つので使い方間違ってるかも)。私は煙草を吸わないが、人が吸っている姿を見るのは好きだ。美味しそうに、気だるそうに、作業のように、思い出したように。皆それぞれの吸い方で吸い殻を積み上げていくのがなんだか愛おしい。

コートに染みた煙の匂いは小さい傘からはみ出しこぼれ落ちる雨で流されていくが、そこにあったことは確かだ。今日は本降りのようだが、なるべく気にせずどこかに出かけようと思う。そろそろ着替えて外に出ないと。

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syrup16g「Hell-see」

発売20周年記念のレコードが届き、久しぶりにsyrup16gの音楽を聴いた。ここ数年は自分の人生と向き合うことで精一杯で、五十嵐さんの苦悩には付き合えない、という理由でsyrupから遠のいていた。歌詞に自分を重ねるまでもなく、乗り越えるのが困難な苦しみが目の前に山積みであったためだ。新しいアルバムすらきちんと聴けていない。syrupが本当に大切なバンドであった頃の自分やsyrup自体を否定したい訳ではなく、ただ時間の経過と共に考えが変わっただけで、それ自体に良し悪しを決める必要はない。当時から好きだった最後の曲「パレード」は、優しさを携えたまま変わらずそこにあった。

気になったのは金光さんのライナーノーツだ。バンドをずっと近くで見て来た編集者がこんな印象批評しかできないのでは、と少し落胆した。いや、少しではないか、私の愛したバンドと生きた時間を棄損されるような憤りを感じる。syrup16gが特別なバンドであることは否定しないが、syrupの音楽を本質と位置付けるなら、本質とはそれ自体で存在するものであり、他の表現を落とす必要はなかったはずだ。
私とて「上っ面のコミュニケーションや共感を叫んでいたバンド」を好んだことはなく、寧ろ唾棄していた側ではあるが、それらのバンドが今活動しておらず、金光さんの記憶に残っていないことは、その表現が「間違っていた」ことの証左になり得るのか。今認識できない事象は間違っていた、無かったことと同義なのか?生き残っているものが正解、という考えはsyrupが避けて来た強者の理論に容易く飲み込まれてしまうのではないだろうか。
「信仰にも似たロックのアプローチには向き合えなかった」五十嵐さんは別の居場所を求め、自分なりの方法で他者とのコミュニケーションを取ろうともがいた。その苦悩を「そんな奴らだけが、syrup16gと共に生きることを許されている」などと別の信仰の枠組みに落とし込むのは正直許し難い。「上っ面」のコミュニケーションと、自身の暗部から生まれる感情を他人に見せつけるコミュニケーション、それに浅い深いという二元論でジャッジをするのも強い抵抗がある。穿った見方をすれば、自己否定は他者からの否定を防ぐ防御の一つであり、syrup16g は困難に対峙するのではなく自分なりの楽な表現方法に逃げた、浅いものと評価することだってできる。ただそんな評価を必要とするか?であれば二元論を持ち込むことはおかしいはずだ。

syrup16gがもうとっくに解散しているバンドであれば、まあ神格化する輩が出るのも仕方ないが、五十嵐さんはsyrupに最後に残されていた「ロック的な」部分、伝説のバンドになるという選択肢を捨てて今も活動している。そのことによって、私のような懐古ファンのみではなく新しいリスナーと出会い、それぞれがsyrupを通じて自身の闇と対峙しているはずだ。であれば、ただこのアルバムの素晴らしさのみを綴って欲しかった。syrup16gは年寄りの慰めや自己憐憫に浸るための、ましてや自分が特別であると錯覚するためのアイテムなどでは決してない。このレコードがただのファンアイテムに留まり、新たな若いファンがこの文書に触れないことを願う。

台風クラブ「アルバム第二集」

第二集の名の通り、分かりやすいキャッチコピーでまとめる事のできない、あるいはそれを必要としない記録集。聴きながら思い出されるのは架空のノスタルジーでなく、自分の5年半の生活の事。大小様々な変化が起こり、未だ乗り越えられない苦しみを抱えたまま過ごす日々の中に、台風クラブの音楽がいつも流れていた。

曲中に出てくるのは、巡る季節の中で常に何かとすれ違い、通り過ぎてしまう人の姿。彼はその十全とは言えない毎日の中で、過ぎてしまった瞬間を無かったことにしたくないと願っている。歌詞に頻出する「思い出す」「覚えていたい」という言葉。懐かしむというより、そうしなくてはいけないという切実さがある。そのわずかな希望すら最後の曲「火の玉ロック」で「おれはいつも/いつか忘れてしまう」とひっくり返される。それでもそんなどん詰まり感は演奏の上で転がり始めればロックの高揚感を携えるのだから不思議だ。

時系列で言えば、「初期の台風クラブ」の次のリリースが「火の玉ロック」だった(カップリングの「遠足」にも「明日には忘れちゃうきっと」という一節がある)。そこから始まり、この5年半台風クラブは忘却への抵抗を続けてきたとも取れる。

また、様々な季節、時間での場面が歌われるが、夕暮れとセットになりやすい「秋」という言葉は出てこない。いかにもな分かりやすい「エモさ」を避けているのか、そんな穏やかな日の記憶はメロディに乗りにくいだけなのかは分からない。

私には「なななのか」イントロのあからさまなドラムしか把握できないが、他の曲にもどこかから譲り受けたパーツが散らばっているようだ。きっとバンドを転がすには、メンバーで音を合わせる時に皆で爆笑できる、演奏を更に楽しくするためのアイデアが必要なのだろうな、と感じる。真面目に「この曲はオアシスのドラムで始めましょう」「はい、分かりました」なんてやり取りがされているとは到底思えない。

一番好きな曲を選ぶ事は難しいが、繰り返し聴いた「下宿屋ゆうれい」「火の玉ロック」、そして私が行ったライブでは演奏していなかった「抗い」が気に入っている。

次に行けるライブは来週末の京都でのワンマン。これ以降、ライブに行かない生活が始まるという何となく、しかしどこか確定事項のような予感がある。せめてこの日は何も考えず、音楽を精一杯楽しめればと思っている。